夢日記〜神と事故(死)と学校(図書館) | まことアート・夢日記

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まことアート・夢日記、こと徳村慎/とくまこのブログ日記。
夢日記、メタ認知、俳句モドキ、詩、小説、音楽日記、ドローイング、デジタルペイント、コラージュ、写真など。2012.1.6.にブログをはじめる。統合失調症はもう20年ぐらい通院している。

夢日記~神と事故(死)と学校(図書館)
徳村慎

夢1.
シーン2.
僕はダンスをやっている少年(青年)。(大学生の時の友人の)K.T.くんと歩いていて、ガードレールスレスレにトラックが来たのでよけている。ところがトラックがギリギリすぎて、僕の左側頭部がタイヤで擦れて髪の毛が無くなる。
その場所は海岸部の山道で海岸に出た僕らは、再び山道を目指す。

BGMはオリジナル曲、スーパーソニック、スーパーソニック。というボイスの入ったテクノ。

シーン1
(小中学と同じだった)T.D.くんと山道を歩く。すると様々な宗教が混ざった神像があって、「ありがたいやろ。にいちゃんやったら、ありがたがるんちゃう?」
「うん。いや、ありがたがらんやろ、さすがに」などと会話する。

その山道の前で女子が出て来た気がする。シーン2.でT.D.くんがK.T.くんに変わったらしい。

夢2.
女子と一緒に行動する。忍者のようなもの。見つかると戦ったり隠れたり。図書館を目指す。学校のような建物の中。


**解釈

神を感じるようになる、という予知夢だったのかも。神像は、そんな気がする。

トラックが来たから避けるのは、何かから逃げてるようにも思える。人生じゃないよな?……それとも神様から逃げているのか?

学校は迷宮だ。部屋から部屋へと繋がる。これは、夢で繰り返されるモチーフだ。なぜ学校なのだろう?……なぜ図書館なのだろう?
学校のことは解決していると思っていた。それでも学校が出て来るのは、学びたいという気持ちの現れなのではないか?

神と事故(死)と学校(図書館)。
それらの求める先に何があるのだろう?
様々な宗教を調べて来た。死についても考えさせられた。そして図書館で学ぼうと努力している。そのまま過去、現在のような感じだ。

共同体感覚。神は感じるものであり、居るとか居ないとかとは違うものなのだ。

死を意識すること。死んだ方が良いのではないか、と考えること。神とは真逆でありながら、神に近い考え方。つまり死。我々が死ねば、この世で我々の一部が残るのではないか、という希望とか。死ねば生から解放されるという思いとか。死にたい、というのは、変わりたいという意味だ。でも、簡単には変われない。人生って長いようで短いような。長いとはなかなか訪れぬ死に対しての言葉。短いとは芸術(趣味)は長く人生は短いと思うこととか。全てを極められる人って居ないと思う。でも全てをかじってみたいと思うんだよなぁ。

かじってみたい、ということが図書館に繋がる。

……しかし、今借りてる『宇宙のすべてがわかる本』も『手にとるように民俗学がわかる本』もあまり面白くない。一度全て返して、面白い本を借り直すべきかも知れない。

とか考えてたが、ちょっと、精神的に参ってたんだろうな、とも思うから、もう少し借りてみようかな……とも思う。(笑)

良く言えば、新しい風が吹いてきてる。


最後まで
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ありがとうございます。
ヽ(≧▽≦)ノ