写真2018.5.9.
徳村慎
昆虫(たぶんハチだったと思う)とツツジ。
アジサイのつぼみ。
ゴールデンウィークも終わった。
もはや夏なんだなぁ。
夏の植物たちは神の造形だ。
生命。ここに魂なり神なりが宿っているならば納得出来るというか。
ただ歩けば良いのだ。
神に出会える。モノクロの写真だから、神が見える。
神とは、なんだ?……という疑問が解ける。インナースペースで心の旅をしてみるのも良いが、散歩するだけで出会えるものの方が大きいように思う。
共同体感覚は、別に人間だけに感じる必要は無いのだ。宇宙のすべてに仲間意識を向ける。これは、農業をしている人の方が感じていることかも知れない。いや、農業が趣味の老人でも感じられない人も居るかも知れないが。
『嫌われる勇気』を読み返している。
僕は、自分のやれることをやればいいんだ、という気持ちなのだが。共同体感覚は、すでに植物や風景に対して持っている気がする。
自分を変えたいと思う人は、アドラー心理学を読むといい。しかし、アドラー心理学は厳しい。甘えで変わりたくないという僕に対して「本当にそれでいいのか?」という問いを突きつける。
変わるべきか否かという部分は難しい問題で。根本的な部分は買えなくても良いのだと僕は考えてしまうのだ。
今の僕にとって神とは散歩で出会う生き物である。なんだ、それだけのことか、と言われそうだ。しかし、この気持ちが湧くのは久しぶりなのだ。今まで散歩をおろそかにし過ぎたから。特にゴールデンウィークは、外に出ることが無かった。
でも、外に出なかったからこそ、外に出る楽しみと出会えた時に神を感じるのかも知れない。
最近、カホンを買おうか迷っていて、兄のカホンを借りて、小音量で叩いたら、20:00前だが母に「大きい音がするからやめとけ」と言われる。カホン、買えないじゃん。まあ、そりゃそうだよなぁ。神様が言ってるんだよー。カホンなんか買うなって。ああ、神様が言うんじゃしょーがねー。って神様ちゃうやろ。
じゃあ、サンプラーだったら、いいのかな?……っておい!→本当に使うのか?
な……なにも買わない方向になりそうだなぁ。神様が言ってるんだったら仕方ない。ああ、そりゃそうだ。
今、窓の外の音を録音した自作のフィールドレコーディングを聴いてるんだけど。これなんかは、地球なんだよなぁ。遠くからやってくる波の音と自動車の音と、カエルの声と僕が部屋の中で打つスマホのフリック音と。神が降りる前の、やはり神なんだな、と思う。
楽器を買うなと言う神様とは別の神様なんだなぁ。こうしてみると多神教なんじゃないのか?
ツツジとアジサイの神もやはり違う神なのではないか?
Eテレで『ヘウレーカ』を観た。
寄生虫が良いことをもたらしている可能性についても話していた。寄生虫が動物の行動を変えることもあるとか。猫の寄生虫がネズミに感染するとネズミは猫の尿の臭いが好きになるらしい。あるいは、清潔になり過ぎて寄生虫が減ると、花粉症などのアレルギーや、精神疾患が増えるのではないかという仮説。
少し思ったのは、寄生虫によって楽器を買ってしまうのではないか、と。(笑)
買わないでおこうとする人間の精神と、買わせようとする寄生虫。
寄生虫も神なんだなぁ。(笑)
この世に有るもの全て人間に影響を与える神なのではないか?
最後まで
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ありがとうございます。
ヽ(≧▽≦)ノ

