夢日記〜民俗学と美術の調査 | まことアート・夢日記

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まことアート・夢日記、こと徳村慎/とくまこのブログ日記。
夢日記、メタ認知、俳句モドキ、詩、小説、音楽日記、ドローイング、デジタルペイント、コラージュ、写真など。2012.1.6.にブログをはじめる。統合失調症はもう20年ぐらい通院している。

夢日記~民俗学と美術の調査
徳村慎


戦争(内乱?)のある国(中東?)で、歴史的建造物で民俗学と美術の調査を行なっている僕ら。ビートたけしも来ていたと思う。
2人の女性がボール(器)に口から野菜たっぷりのスープ(あるいはジュース)を吐き出す。それをみんなで飲もうとしているようだった。


**解釈

グラハム・ハンコック『異次元の刻印』の影響だろうか。
歴史的建造物かぁ。これが洞窟なら、『異次元の刻印』そのままだなぁ。グラハム・ハンコックの立場そのものだ。
昨日は『異次元の刻印』を科学的かはグレーゾーンと断じたが。なかなか読みごたえのある本なのだ。
それにしてもビートたけし、かぁ。尊敬する人物だなぁ。でも、ビートたけしには成れないので、調査隊に加わっていたのは面白い。仲間として登場したのだ。夢の世界だから、そんなこともあるだろうけど。

それにしても意味深なのは、2人の女性だ。現地の人だったように思えるんだけど、どうだったろうか?
女性は、太陽だった。女性は上半身が陽で下半身が陰。男性は逆。上半身が陰で下半身が陽。女性が太陽で男性が月だという日本神話と、逆のギリシャ神話。
しかし、ここでは、現地の人。
宇賀神のような女性のもてなし。やはり神か。あるいは観音かも知れない。水を与えるのが観音なのだという。

中東は、僕にとってなんの意味があるのか?       遠い国。石油の出る豊かな国。肌を露出しない国。やはり日本に生まれて良かったのだ。だが、日本は本当に文化的な国なのだろうか?    先進国で平和な国。そして僕は平和ボケしているのか。なぜ、戦争のあるような国に調査に来ているのか?    戦争で破壊される前に調査しようというのだろうか?    まるで『マスターキートン』というマンガの話のようだ。調査していて仲間が触れてはならない場所を掘って砂漠に放り出されて、生還する。

まるで、この前引いたタロットカードの吊るされた男の逆位置だな。放棄しない、という意味ではなく、殺されて吊るされる、という逆の生還。つまりは民俗学を(あるいはスピリチュアルなことを)放棄しない、という考えにも思える。

僕は誰かに利用されてきたバカかも知れない。しかし、自分で自分を利用してきたのだ。そう思う。
2人の女性は何を表すのだろう?
母とその姉の姉妹、付き合った彼女、これらは、どうにも当てはまらない気がする。今付き合っている彼女と、兄の婚約者でも、微妙に違う気がする。
やはり神のような存在ではないか。
しかし、2人の女神というのは、なんなんだろう?……太陽と月は両方とも女神なのだろうか?      アマテラスとアルテミス。ちょっと音が似ている。
それよりも昨日書いた、ダークサイドの話を用いれば、ブライトサイドとダークサイドの2人なのかも知れない。
あるいは、2人ともがダークサイドであって。ダークサイドの明るい使い方と暗い使い方なのか。
それも考え過ぎかも知れない。

あの世で忘却のスープを飲むと記憶を無くすという話があった。それが2人の女性の吐き出したスープ(ジュース)だったのではないか。うーん。これも考え過ぎか。あの世には生きた人と死んだ人が交わるという考えも浮かぶ。難しい話だが。それが霊界というものかも知れない。

戦争はアートじゃないか、と僕は昨日冗談を書いた。しかし、戦争がアートならば、2人の女性が吐き出したスープを飲むのもアートだろう。図書館の知識などが無い、現地調査。現地に出よ、と言っているのか。僕にとっての現地ってどこだ?……あるいは何だ?
アートの現地?
神上がアートの現地ではないのだろうか?

2人の女性とは2つの乳房であり、スープは、そこから流れるミルクなのではないか?……とふと思う。
母性の化身が2人の女性になったのではないか?……と。
全く同じ行動をするのは、2人の女性が1つのものだからではないか?……と。

じゃあ、ビートたけしが表すものは何だ?……きっとアーティストなんだ。お笑い(コメディアン)、映画監督にして俳優、コメンテーター、文筆家。さらに絵画や立体造形なんかも今は作っている。
僕は、ビートたけしに、大きな憧れがある。ビートたけしが死ねば、アーティストとして特集されるんだろうなぁ、と思う。偉大だ。っていうか生きてる時点でも偉大なのだ。しかし、会いたいか?……と問われれば会いたくない、と答えるだろう。会っても別次元過ぎて理解出来ないことは確かだろうし。それが夢では会ってしまう。スープを飲む仲間になってしまう。

昔の文明の遺したような民族学的なアート(歴史的建造物)と、ビートたけしという現代アート。そして僕が居る。皆んなに平等に並列に知恵のミルクを与える女神。そういう図式ならば、僕のアートというのも大きなインターネットに取り込まれたという意味では有名無名の差など無くなってしまって平等なのではないか。うーん。インターネットが巨大な1つのアートだとすると、僕らのやっていることは、インターネットをより深く(より広く)するだけのことで、突出してアーティストになれる、というものではないのかも知れない。

いや、しかし、2人の女性の解釈がなぁ。あ、『君の名は。』で姉妹が口噛み酒を作ってたなぁ。あの妹可愛かったなぁ。→このロリコン!(泣汗笑)
2人の巫女なのではないか?
まあ、女神としてもいいけれど。
シャーマンだね。シャーマンか。現代のアーティストもシャーマンのような役割が求められるだろうなぁ。
僕も招き猫を那智黒石で作っている。これは、非常にシャーマンのような行為に似ていると言えるだろう。だとすると宗教もアートなのだ。
ああ、全てがアートに思えてくる。
宗教は、インターネットよりも巨大なアートなのか、それともインターネットが宗教を飲み込むのか。
極端な話をすると、インターネットは、もはや制御不能の生命体なのではないか、とさえ思えてくる。ホッブズのリヴァイアサンは社会が巨大な生き物だと考えていたような表紙の絵をしている。インターネットだって生命体なのではないか。生命体を制御することは不可能だが、生命体と一体になることなら可能ではないか。それが巫女の役目ではないのか?
日本全国でスマホやパソコンなどを使ってインターネットをしている人々の数はすごい量なのだろう。いや、世界中でもインターネットに繋がっているのだ。
インターネットの中にゴーストと呼ばれる魂が生まれるというSFが攻殻機動隊だった。それとは別の魂がもう生まれているんじゃないだろうか?

では別の魂を定義しないといけない。
古来、人類は分からないものに神と名前を付けてきた。地震台風火事……。これらは全てが神なのだ。死んだ英雄なども神となった。現人神という思想もあった。(が、これを書くと不敬罪にならないだろうか?(笑))
神=魂としても何ら問題は無いと思う。インターネットも分からないもの、になってしまったんじゃないだろうか?
誰かが言論統制しようとしても無理なぐらい生命体というよりはモンスターと化してしまったのかも知れない。

僕は夢で大変なものを見てしまったのかも知れない。
インターネットがアートなら、スマホはアートだろう。色んなアプリが使えて。スマホもアートであり、生命体だったりして。神だったりして。『武士道』に書かれたように昔の武士が刀を大切にしたように、スマホも大切にされてるだろうし。スマホも刀のように魂の入ったものかも知れない。文明が生んだ道具は、あまりにも偉大で、完全に使いこなすことなど出来やしない。神か。
『2001年宇宙の旅』の小説には道具がもはや人類の主人であると書かれている。そして、スターチャイルドという神に人類が進化してしまう。でも、現実には、スターチャイルドは生まれないのかも知れない。人類の進化は止まり、文明だけが進歩していくのかも知れない。
そうなると道具が神になり、人類よりも道具が偉いという状況もあり得る。それを言うなら、文明も最初は道具だったんだと思う。

歴史的建造物が戦争によって消滅しそうな不安感と、歴史的建造物に居るという安心感。変な夢だったけど、様々な解釈が出来ると思う。

僕はまだ『異次元の刻印』を読み終わっていない。まだまだ、先はあるさ。


最後まで
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