ドローイング2018.3.24.
徳村慎
植物と顔である。
図書館で借りた、ジミー大西の画集『まっ白』を一気に読んだ(見た)あとで、描きたくなったのが、コレだ。
画面の中の処理が、やはりプロのジミー大西に比べて僕の作品は、甘いな、と感じて点描を打ってみた。自分では、効果があったと思う。僕なりに頑張ったな、と。
今読んでいる(図書館で借りた本の)『臨床ユング心理学入門』では、芸術療法が効くのは、言葉を喋れない人や、看護婦さんに嫌われた人だという。絵を描きたいと考えて描いている人には、あまり効果がないのだという。
つまり人生を変えたいならば、新たなチャレンジが必要だということではないか?
新たなチャレンジ?
僕にとっての新たなチャレンジってなんだろう?
絵画、読書、楽器演奏、YouTube鑑賞、俳句モドキ、ロックバランシング……つまり今やってること。……ではないものである。
女遊びをする、という無茶なものは出来ないし、お酒も時々飲んでるし、何が出来る範囲でありながら、やってないことなのか。
やりたくないことをやれば変わるのだろうか?
仕事?
→思いっきり美術じゃん!(笑)
→趣味に近い!(笑)
ダメだ。一般の人にとっての仕事とは意味が違ってくる。やりたくないこと……。冬場の滝行。座禅。
滝行は無理だが、座禅は出来そうだ。ただし、僕は身体が硬いので足を組めない。じゃあ、座禅じゃないじゃん。単なる瞑想じゃん。
でも、瞑想も続かないんだよねぇ。何も考えない状態に僕は入るのが簡単に出来る。だから、達成感が無い。
ってかダメだ。やったことのあるやつは、ダメだ。
などと考えていたが、やはり日常で出来ることを趣味にするのがいいのか、と思い直す。
ウォッカを何かで割って飲むってのを趣味にしようかな?
今日はお茶で割りました。ってかお茶の量がかなり多いぞ……。(笑)
最後まで
読んでいただきまして、
ありがとうございます。
ヽ(≧▽≦)ノ
