ドローイング2018.3.20.
徳村慎
はむはむ。パンダは何かを食べているらしい。カバはパンダの上に乗っかっている。
地球は海がある。カモメが空を飛んでいる。山もある。富士山なのか? それとも? 蝶がとまっている。
人間、くだらないことが本当に大切で。
くだらないことで笑える人間は素敵で。
くだらないってことをくだらないって切り捨てるから、狭くなっていく。だから、くだらないことをしなきゃいけない。
人生ってなんだろう?
別にもうどうでもいいや、と思った時に、深く考えることなく突っ走れる人は天才だ。人生って何?……って考えちゃう人は才能がない。でも、哲学的な才能はあるのかも。
どうでもいいや、で生きてられる人を尊敬したい。いや、そりゃ、僕の真逆だから話が合わないだろうけど。昔は、そんな人間が嫌いだったなぁ。今は、自分も、どうでも良くなったところもあって、丸くなったのかも知れない。
美術なのか漫画なのか、ってのは、もうどうでもいいや。(笑)
アートでマンガっぽい描き方の人のもどうでもいいや。どっちでもいいんだよね。僕の(現代)アートと言っても良いし、授業なんかで使われる権威主義的な美術って言葉もいいね。漫画と漢字で書くのもマンガとカタカナで書くのも、それぞれ良い。
リキテンスタインがマンガをアートにしたものには驚いただろうね。あの時代は。でも、それが当たり前になって、誰も驚かなくなってるんじゃないかな?
驚く平面絵画って、もう無いのかなぁ?
あるんだろうけど、出会わないなぁ。
今日もACIDの曲を作った。
作ったというか流れた、みたいな。演奏した、っていうよりも流れたんだよね。
KORG Gadgetで1時間。出来ればTB-303とTR-909なんかを使えたらいいんだろうけど。KORG Gadgetで我慢した。代用品なんだよね。悪くはないけど。良くもない。これだったら、Roland MC-505とかを久しぶりに使うべきかも知れないけどね。
ACIDはドラッグをキメて聴かれた(あるいは踊られた)音楽なんだろうけど。さすがに、違法な薬物をしてるわけじゃなく、単に、曲を作っているだけ。
その心地よい疲れもあってか、こんなドローイングになったんだよねぇ。
今日は図書館でピカソのドローイングとかも見たけど、やっぱりいいね。僕はピカソの抽象を好きだなぁ。具象なんだけど、抽象との中間という。あれはピカソならでは、の抽象であって、僕が真似してもダメなんだろうけれど、ちょっと真似してみたい気分でもある。
ACIDだって真似なんだよ。
ドローイングだって何かの真似でいいんじゃないか?……マンガだよねぇ。
そういや、あの人は元気にやってるんだろうか?
なんてことを考えながら、こういう、くだらないドローイングを描き続けている。これが大事なんだなぁ。
くだらない、と言われて落ち込むだろうけど、お前らにゃ分からないだろ、と思ったりするんだろうね。
ところで、現代音楽って未来に向けた音楽なのかな?……最先端なのかな?
もはや絵画は死んだのか?
みたいなことも考えるなぁ。
死んだでしょ。と僕の中の一部が言う。もう1つの僕は、いや、原始時代に戻って、絵画に戻るんだよ、と言う。
今最先端の音楽ってなんだろう?
中田ヤスタカではないよなぁ。
坂本龍一でもないよなぁ。
いや、それが最先端なのかも知れないけど。生楽器、エレキ、シンセ、環境音、インダストリアル……全ての音は出尽くした気がする。
今は最先端の美術は?
というと体験型、参加型のものだったりする。けれど、それは美術なのか? という考えも湧いてくる。
もしかしたら、もしかしたらだけど、日記のように音楽から音楽へと移動する行為自体が音楽と呼べるのなら、YouTubeをネットサーフィンするのが最先端なのかも知れない。(YouTubeが最先端なのじゃなく、YouTubeを見る行為自体を時間軸で捉え直した上で、思考上でそれを並列化する、みたいな)
ちょっと見えた気がするなぁ。
もはや美術と音楽は不可分であったりして。映像は、そうだよなぁ。
だからといってパラパラマンガを作ろうとかアニメーションをやろうとか、思わないんだけどねぇ。
あ、でも、写真で1日を記録したら、どうなるんだろう?
いつか、やってみたいなぁ。
写真で1日を記録することを絵画でやると、1枚に収まっちゃうと……違うものになるのか。また絵画という原始時代に戻るのか。
来週の火曜日には図書館に行く。
何を借りようかな?
それを記録するだけでも哲学が生まれそうだし。
記録って意味では俳句モドキがそうだし。記録を超えたところに芸術性はあるんだろうけどねぇ。
最後まで
読んでいただきまして、
ありがとうございます。
ヽ(≧▽≦)ノ
