夢日記~フットボール
徳村慎
1.
ストーリーの分からない夢。
高校生らしき人物が出て来たような?
夢が浅くなると過去の嫌なことを見た。
2.
夢の中でお腹が痛かった。
3.
フットボールの応援。
Tちゃん(女子)が話しかけてくる。「お昼食べた?」と空耳かな?と思ってると、「食べたものは何?」とまた訊いてくる。マグロのようなサバのような魚を食べているのでそう答える。
するとI君が「定食は○○やったで」と訂正するが、僕の食べたものは違うので、Tちゃんがさらに訂正して言う。
そしてTちゃんは英語で何か外国人と話した後、中国語で話している。Tちゃんの後ろ姿はハゲていて、ヨーダみたいだ、と僕は思う。
僕は次の瞬間。相手チーム「クルーガー・ブレント」のところで応援している。Mちゃん(男)が選手で居る。応援席から選手のところに移り、僕も参戦する。仲間の一番足の速い男で仕掛けることを決め、僕が足ツボマッサージをする。すると元気に走れるらしい。
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自分なりの解釈
ストーリーの分からない夢。覚えてないんだよなぁ。人は一晩に4回夢を見るらしい。その最後の夢が2番目の夢か。
クルーガー・ブレントは『ゲームの達人』に出て来る人物たちで会社をおこす。
Tちゃんは美術の教師になっているのかな? 一度那智黒石の体験で会ったことがある。Tちゃんはハゲていないのだが、夢の中ではハゲていた。ヨーダってハゲてたっけ?
老賢者のイメージがTちゃんにあるのかも。
足ツボマッサージでチームに貢献するなんて新しいなぁ。チームへの貢献というと、那智黒石の徳村屋への貢献だろうか?
それとも母への貢献か?
お腹が痛いと思っていたら夢だったのを思い出して追加する。
Tちゃんは、今の彼女の代わりに出て来た気がする。そして、今の彼女も賢くて老賢者のような感じもあったりするから。まあ、人間は多面体。こっちから見ると老賢者でも、こっちから見ると無邪気な子供だったりする。
彼女は今、入院してるから、僕も距離を置いてる訳で。その距離感が老賢者っぽいのかなぁ?
日本語、英語、中国語が出来るってのが理想だよねぇ。その理想の姿をTちゃんは現していて。南方熊楠なんかも、何ヶ国語も喋れたみたいだけど。マンガでは猫語や幽霊語など朝飯前だったのだ、とある。→『猫楠』っていう南方熊楠の伝記マンガ。水木しげる著。
熊楠は理想なんだよねぇ。
リテレートとか。民間学者って最高でしょ。学問に名を借りた遊び人。(笑)
まあ、僕も元カノに遊び人って言われたけどさ。→ダメじゃん。(笑)
でもねぇ。芸術家でいたいんだよねぇ。クリエイティブでいたい。クリエイティブって言っても、1番じゃなきゃ嫌とかじゃなくて。最近は、別にビリだろうがいいかな、って思える。絵を描いたり、文章描いたり、写真撮ったりするだけで幸せっていう。プチクリエイティブ。Amebaブログが心の拠り所です。誰かにちょっと見てもらうだけで良い。そんなに見てもらわなくても発表するだけでも幸せなんだけどね。アクセス数とかは気にせず、自分のやりたいことをやる。
一時期はね。仕事の作品を大切にして、趣味は発表しない、みたいなことをfacebookで発表してたけど。結局、それでは、上手く回らないんだなぁ、と感じる。
音楽日記を再開、夢日記を再開して、絵画(鉛筆画)も再開、俳句モドキまで再開している。なんか、波が来てるんだよねぇ。→こういうところが遊び人ってか。(笑)
彼女が入院した時は、彼女ロス症候群みたいな病的な感じだったけど。それも治った。→ホンマでっか!?TVで、LINEのやり取りはコカインをやってる時ぐらい脳が活性化してるらしい。だからLINEがやれなくなったショックだったんかなぁ?
コカインやるならLINEやれって話やな!(笑)
結局、今日は、『太陽の法』を中古で買った。(お金を払った)(笑)……だって、守護霊にムー文明だぜ?……オカルト好きにはたまらんでしょー。結局スピリチュアルな宗教なんだなぁ、と思った。僕の好きな世界なんだよねぇ。この世をファンタジーに変えるような効果があれば良いなぁ、と思ってる。僕が新興宗教の本を買うなんて、僕もだいぶ変わったなぁ。なんか、最近は、古い宗教だけじゃ僕の感覚と違うなぁ、と感じていて。昔から全ての宗教が1つになったものを理想としていて自分で調べていたので。そう。今年はコーランと聖書物語を買ったんだった。最後には『太陽の法』か。面白い。
そして図書館で『俳句入門』を借りた。俳句モドキのさらなる飛躍に!
俳句って小説みたいに作ることってあるのかなぁ?……そうなると机上の俳句になっちゃって面白くない気がするなぁ。僕は見たこと感じたことをやっぱりノンフィクションとして俳句モドキを作りたいなぁ。
図書館と本屋の立ち読みが老賢者なのかも。(今見てる)TVタックルも良いね!……老賢者の番組だね。
今、TVタックルで安楽死のことをやってる。生き続けることが苦痛って僕だって生きていたくない、とちょっと前には思っていたのだ。自殺と同じじゃないか、という意見がある。確かに!
彼女が「死にたい」って言ってきた時は、「死なないで」って言うしかなかったなぁ。だから入院しちゃったんだけどね。自殺はやっぱりして欲しくないなぁ。
橋田寿賀子が言ってるのは認知症っなったら生きていたくない、って話なんだよね。うーん。僕はどんな障害があっても生きていたいと思うような気がする。時々は「生きていたくない」と思いながらも生きるのを選ぶんだと思うよ。
でも、生きていたくない、と思った時からこっちの世界(生きたいという思い)に戻って来た時に、スピリチュアルとかが、自分の中で大きくなったような気がする。なぜ人は生きてるのか?……という問いが強力な感じで迫って来たというか。
なぜ生きるのか?……人は楽しむために生きるんだと思う。下手な俳句モドキなんかを作るためなんだよね。(笑)
つまり幸せの基準っていうのが自分の中にある人が幸せなんだろうと思うんだよね。他人と比べる人ってのは、不幸になりやすい。これが難しい。
楽器だらけ、本だらけ、な部屋に住んでて、さらに欲しくなるもんねぇ。でも、本の拡張には部屋の限界があるから、図書館とか本屋の立ち読みとかをするんだよねぇ。それが老賢者。楽器はメンテナンスだけにお金をかけるんだったら老賢者だけどねぇ。まあ、まだまだ、老賢者には遠いのかなぁ?(笑)
とにかく楽器も、自分なりの弾き方で無理せずに弾いてるのが聴いてて気持ち良いんだと思うよ。
→じゃあ、押尾コータローとかLi-sa-X目指すとか言うなよ、と。(笑)
→でも目指したいじゃん。(ちょっと東京弁で。。。)それが楽しみになるんだから。一歩ずつ。山が立ちはだかるけど。テクテク登ろう。
もしもね。スマホしか無い状況になったら、それはそれで幸せなのかも知れないし。うーん。今、スマホが無かったら、結構厳しいのかなぁ?
でも、ノートと鉛筆とギターだけになっても、それはそれでクリエイティブで幸せなのかも。元に戻るだけだ。
友達も居ずに、枕元にはノートと鉛筆。仕事が終われば部屋に帰るだけ。精神的にダメージを受けて何も出来なくなってから、まだ回復しきっていなかった頃の話だ。でも、辛かったりもしたけど、今思うとそれでも幸せだったと思う。
なんか老賢者から、深い話になっちゃったな。今回の夢日記。今の幸せを噛み締めよう。
最後まで
読んでいただきまして、
ありがとうございます。
ヽ(≧▽≦)ノ