感想『おおかみこどもの雨と雪』 | まことアート・夢日記

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まことアート・夢日記、こと徳村慎/とくまこのブログ日記。
夢日記、メタ認知、俳句モドキ、詩、小説、音楽日記、ドローイング、デジタルペイント、コラージュ、写真など。2012.1.6.にブログをはじめる。統合失調症はもう20年ぐらい通院している。

感想

細田守『おおかみこどもの雨と雪』



アニメは観てないので、小説としての感想になる。


子供の成長記だ。母親の成長記でもある。子供というのは小学生時代で一区切りつけられるんだな、と思った。


おおかみおとこと結ばれた花が母親になり、おおかみこどもを生み小学生時代まで一緒に過ごした記録なのだが、雪がお姉さんで雨が弟なのだ。


活発だった雪がおとなしくなり人間の道を目指す。逆におとなしかった雨はおおかみの道へ。


子供たちが争うシーンが一番胸に響いた。僕自身は結婚もしていないので子供も居ないが、甥っ子が居る。そして最近、まだ読み終わらず読み続けているのが【ハイデッガー『存在と時間』註解】という本だ。世界-内-存在という言葉が出て来る。子供が生まれた時に世界という対象を先天的に理解している、という話なのだ。価値観の違いが決定的になる子供たちの争い。それは世界-内-存在をそれぞれが感じた違いでもある。


雪(第一子)にとって人間と接することが世界になったのに対して、雨(末っ子)は、自然の森の中が世界となる。第一子と末っ子の違いが世界への興味の違いであるだろう。僕も末っ子なので、この辺りの興味の持ち方はリアルだと思った。第一子は社会性を求める傾向にあるだろうし、末っ子は自分の探求したいものだけを見つめる。そして末っ子は第一子の持つ社会性に憧れ、第一子は逆に末っ子の自由に憧れるのかも知れない。


小説には出てこないが、ネットの教育のブログなんかを読むと中間子(3人子供が居る場合は第二子、4人子供が居れば第二子と第三子)が一番母親を第一子や末っ子に取られるので、一番独立心が高くなるらしい。


第一子が言葉を用いるようになるのに対し末っ子は言葉よりも行動で示すようになるのかも知れない。狐を先生と呼び、自ら森の先生のような立場が必要だと言う雨。動物の言葉の中には人間が表現出来ないものも含まれている、とはすごい表現だ。実際にそうなんだと思う。


猫を飼っていると人間とは別の世界があることに気づかされる。猫は縄張りを守るために時々ケガをして帰ってくる。それでも人間に飼われているのだから独立していない頃のおおかみこども雨と同じなのだ。


自然は厳しいものだ。その厳しさはとてつもない。地震も豪雨も自然の頂点のような強い存在だ。言わば神だ。神の下で生きる動物などは、か弱い存在にすぎない。ラストシーンに向かうにつれて厳しさがテーマとなっている気がした。僕がそう感じるだけかも知れないが、厳しさこそ人間も含めた動物たちを磨くのだと思った。


だから厳しさと離れた花が1人で暮らすのにホッとした。花は、やはり人間だったのだ。おおかみこどもたちとは離れる運命だったのだと思う。それが子離れとも重なって良い空気感になって話は終わる。


徳村慎






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