感想『インドでわしも考えた』 | まことアート・夢日記

まことアート・夢日記

まことアート・夢日記、こと徳村慎/とくまこのブログ日記。
夢日記、メタ認知、俳句モドキ、詩、小説、音楽日記、ドローイング、デジタルペイント、コラージュ、写真など。2012.1.6.にブログをはじめる。統合失調症はもう20年ぐらい通院している。



感想
椎名誠『インドでわしも考えた』

この本を読む度に、インドって凄い国だ、と思う。かなり以前の本なので、今のインドとは違うのかな?……とも思うが、大きくはインドはインドのままだろう、とも思う。

インドと言えば、仏教を生んだ国だ、との印象が強い。仏教を生んだ土壌が在るのだ。でも日本の仏教は日本の仏教なのかも知れない。しかも、インド本土では仏教よりもヒンドゥ教が多いらしい。そう考えると仏教は日本には広まったがインドでは、其れ程でも無かったという事だろうか?……良く分からない。何しろインドの知識の本では無く、『インドでわしも考えた』は体験記だからだ。本の中身は写真が多く飽きない仕組み。

中でも面白かった部分を抜き書きしたい。

料理は肉や魚であったが、この日はいつも魚を選ぶ山本カメラがすこし頬のあたりを照れくさそうにさすりながら肉の方を選んだ。シャドリさんの話ではこのへんで出される魚はほとんどガンガーから獲れるものである、ということを最初に聞いてしまったからだ。
聖なる河ガンガーは今日までの数千年、ヒンドゥ教徒たちの何百何千万という屍をその流れの中に受け止めてきた。(中略)しかし、本日、しかも数時間前に白布にくるまれて流れていくガンガーの屍を見てしまった者にガンガーの魚の料理はいささか気分の重いシロモノであった。

この本を読むと、神々しい河とは、全てを飲んでいて、全てそのものであるのだろう。神とは土着的であって全てを包み込む存在ではないのか、と僕は思う。だから、この本は軽妙なギャグも交えつつ意外に神の真実を伝える物だったかも知れない。

徳村慎






iPhoneから送信