小説『1238の謎』
徳村慎
今年の初冬。
近所の大学生のお兄さんが死んだ。今は高校生の僕が中学生の頃から、本当の兄のように慕っていたからショックやった。飛び降り自殺だった。お兄さんの両親は本人やと確認していた。なんで死んだんやろう。ただ、奇妙な事にお兄さんが死んだ時に僕が貸した本が返ってきたんやけど、そこにメモの紙が挟まっていたんよね。そのメモは誰が書いたものなのか。数字が並んでいるだけ。
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一体何の数字なのか。歳の離れた妹が金髪のツインテを揺らして僕の見つめるメモを取り上げる。妹と僕は血が繋がっていない。妹はアメリカ人とのハーフなのだが、虐待を受けていて保護施設で暮らしていた。そして僕の両親が引き取る事になったのだ。だから僕が去年の春、急に金髪碧眼(へきがん)の妹が出来たのだ。
まあ、とにかく、僕の見つめる数字の書かれたメモの紙を取り上げると妹が言った。「これって暗号なのかなぁ?」って。
「カーリー。暗号っていっても解けんやろ。むつかしわ。誰かのイタズラ書きっちゃうかぁ?」僕が紙片を取り返そうと手を伸ばす。
転ぶ妹。チュッ。柔らかな感触が唇にあった。これってキスぅ?
ぽかすか。妹のカーリーが僕を軽く殴り続ける。「私のファーストキス奪ったぁッ!」涙目だ。すまん。ってか妹が転んだのが悪いんだが。……ん?……唇ぅ?
「なあ、カーリー。これって口の動きを表しとるんかな?」僕がゴロリと仰向けからうつ伏せになる。
1が口を閉じた形。そして0が口をいっぱいに開いた形だ。そう考えれば1は「う」で0が「あ」なのだ。そして8は「い」ではないか。
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この暗号に分かった口の動きを当てはめると、こうなる。
う23い47う
54いあ25う
「何ソレ、あったま悪ぅ~」僕の腰の上に馬乗りになって馬鹿にするカーリー。
「じゃ、ないよなぁ」僕も自分を馬鹿だと思った。
「これってローマ字に当てはまんないの?」とカーリー。
「そっか。ローマ字の母音a.i.u.e.o.を12345に変えて、子音も0をア行、1をカ行、2をサ行に当てはめると……」
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き38471
へ80そ1
「ってかローマ字に38ってタ行の8番目なんて無いよな。残念」
妹が僕の背中に腹ばいになる。
「じゃあ、矢印になるんだ。宝のありかだよ」
膝を折り曲げてパタパタと空中で足を動かしながら妹が考えている。僕のお尻の辺りがくすぐったい。
「お兄さんが死んだのは阿田和の陸橋でしょ」
「うん。そう聞いとる。ダンプに飛び込んだんやと」
ダンプカーに飛び降り自殺。なんと偶然にもお兄さんの知人が運転するダンプカーだったのだという。
エアコンが部屋を暖めて妹がくっついとるから冬の陽だまりのようだ。冬休みがずっと続けばええのに。妹がずっとこのまま成長せんかったらええのに。こんな事を考える僕は罪やろか。
「行ってみっか」僕が起き上がれば妹は畳の上に落ちた。けれども妹は言った。「私も行く」
バスに乗って阿田和のスーパーの前で降りる。観光バスも止まる場所だ。観光シーズンだからか今日も止まっている。手が冷たい。妹が僕の左手を握って僕のコートのポケットに突っ込む。「さむぅ~」妹が悲鳴に近いほどの声で言って僕に抱きつく。
階段を上って陸橋の上から覗くと、こんなに低い場所で自殺をするんやからダンプに飛ばな死ねんな、と思えた。でもなぁ。なんで死んだんやろ?……自殺する理由らあったんかな?
この自殺場所から数字を矢印に変えて進めば、どこに行けるのか?
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真っ直ぐ行ってグルッと階段を降りるのか?元来たバス停に行かずに防風林内へと進んで行く。分かれ道や。左に進む。そして合流点。さらに進んで国道へと出る。この辺りは余り知られていないが、ミカン屋の前のバス停に出る。8の字に進んでいたのか、いないのか?……戻るなら国道を戻って駅前に行ってみるか。そして道の駅にもなっているスーパーに入る。
冷たい風からやっと建物の中に入って少し暖かく感じる。「ちょっと待ってて」とトイレに行く妹。「僕も行っとくわ」と僕も用をたす。身体が冷えきる。温かい飲み物を飲んで陸橋下のバス停から帰る。やっぱ、謎は解けないんかな。これってホンマに暗号ッちゃうんかな?
「ここ前はスーパーやったんやで」と農業用品を扱う店を通り過ぎて教える。「こうしやまって変な名前ぇ~」子供らしい話題で笑うカーリー。
「まあな。……神志山(こうしやま)?」
僕はメモの紙片を見返した。
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これは……。
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こうしやま251
と読めるんじゃないのか?
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こうしやまにこい
つまり、
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神志山に来い
では?
「カーリー。これ、もしかしてさ、神志山に来いっちゃうか?」僕が興奮して見つめる。
「あ……ホントだぁ。そう読めちゃう。じゃあ、1兄さん8471かな?」
1兄さん8471
神志山に来い
そっか。「あの兄さんの名字はな、王(おう)やけど、中国系でな。王はワンって読めるんや」
王兄さん8471
神志山に来い
「ねえ、8471ってさ。王兄さんは、しない、かな?」カーリーがバスの中でツインテを揺らして飛び跳ねる。
僕も気分が高揚した。分かった。しない、ではなく。
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王兄さんは死なない
神志山に来い
これを妹に伝えると「じゃ、死んでないの?」と驚く。夕暮れの中で僕たちはひとまず有馬のスーパーを通り過ぎた所のバス亭で降りて家路についた。
神志山で兄さんとの思い出の場所はどこだ?……堤防だ。あの辺りまでブラブラ歩いて植物の観察をするのがお兄さんは好きだった。
僕と妹は翌日の朝に弁当を持って歩いて神志山に出掛けた。大人の足で30分掛かる。途中で妹をおぶったり休んだりしながら有馬から1時間掛けて防風林内を進んだ。色んな植物の知識を教えられた事を思い出す。冬のサルトリイバラにハゼノキ。松もシダも苔も全ての植物が懐かしい。キク科のロゼットがそこここにある。大地に葉をぴたりと付けている。
堤防を進んで川を渡るには国道42号線の橋の下を通る。そこから車の通る橋の隣に掛かる橋を進んで行き、農業用品の店の近くの横断歩道を渡る。防風林内に入ると鴉(からす)がチョコチョコと歩いて来た。ハシボソカラスだろうか?
僕たちの眼の前で鴉は男の姿に変わる。「やっと謎を解いたんやな」
まぎれもなく王兄さんだ。
「生きとるん?……そやったらなんで、こんなトコにおるんよ?」僕も驚いたが妹も驚きのあまり言葉が出ないようだ。
「ここにあの世への入り口があるんや。オモロイぞ。あっちからこっちの世界を見るのも。自然科学を極めるとな、魔術にも興味がわいてくるんや。超常現象を解(と)いたろ、思えてくるんや。南方熊楠もな。粘菌から妖怪から仏教経典から動植物から、なんでもかんでも知っとったんよ。あの人も向こう行ったら逢えるんやで。生きとるんよ。ちょっとだけあっちの世界見せたるわ」
兄さんは大きな鴉になって足で僕たちを掴んだ。色彩豊かな四季が同時に広がる大地で、龍や鳳凰やゾウやキリンやカバやワニや大きなヘビに至るまでが楽しそうに暮らしている。そこには幸せそうな表情の人々が暮らしていた。
眼が覚めると僕と妹は互いにもたれて防風林内のベンチに座っていた。この林内も、そういえば熊野古道の浜街道だ。不思議は常に存在する。そんな場所が熊野だったと納得した。だから熊野詣でに訪れる人々が絶(た)えないのだ。
考えてみれば知人のダンプカーに飛び込んだのも肉体を捨てる科学的方法を見出したから出来た事じゃないかいね?……それでも、僕は自分で試そうとは思わんけどね。
林から出ると有馬の林内だったのだと気づく。妹と手を繋(つな)いで横断歩道を渡る。もうすぐお昼や。弁当は家で食べるとしよう。
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僕たちは謎を解いて、少しだけあの世が見えた。
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ここは良い国。
だって熊野やから。僕らはあの世とこの世を繋ぐ国を誇りに思っている。
(了)
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