小説『氷河期と戦争』
徳村慎
床に流れる緑色の体液。俺の銃弾に倒れたのだ。硝煙の臭いの中で、まだ死なずに俺を見つめた。
「俺が野蛮やってか。それやったら、じゃあ、未来は、野蛮な事なんて、あらへんのかッ」
俺の熊野弁が口から溢(あふ)れ出す。未来人と名乗る緑色の身体の人間。コイツと向き合っていると沈黙が怖くて逃げ出したくなる。本当にコイツが未来人なんやろか、などと解決したはずの根本的な疑問さえ浮かんだりもする。拳銃を握り締めたまま、逆の手で咥(くわ)えた葉巻に火を点(つ)けた。コイツとの事をゆっくりと思い出すために。
数日前の事だ。カバルトと呼ばれる未来の時空間移動用の自動車にコイツは乗ってやって来た。その話を鵜呑みにした訳ではないが、確かに見た事の無い自動車だった。燃料はガソリンやシェールガス、はたまた石炭でも、電池や水分解での電気でも無い。この自動車も植物のように光合成をしてエネルギーを作るのだという。言わば太陽電池の発展形なのだろうか。
「なんで、熊野なんかに来たん?……他に行きたい昔っからの場所、あるやろが」
自動巻き腕時計の宝石を見つめながら、俺が疑問を口にすると、彼は笑った。外国人が、ぎこちない覚えたての日本語を喋るような感じで答える。
「2051年には自然が無いんですよ」
未来では、古文とまでは行かないが、俺の使う時代の言葉は古いのだと言っていた。ここから言葉はさらに発展して違う物になっているらしい。
自然が無い、とは奇妙だ。今や、世界の自然遺産となどと称して保護されている場所は多いはずだ。それを言うと、彼は首を振って否定して緑色の唇から言葉を発した。
「人工太陽爆弾による戦争で、好戦的な国から順番に、ほとんどの国が滅んだんです。地球には自然は残されませんでした」
俺が、とある大国の名前を出すと、それもそのひとつです、と答えた。
「本当は過去に来たら、アカンのとちゃうんか?」と俺が訊いてナイフで桃を剥いていると、「僕は人工太陽爆弾を排除したいのです」とだけ答えた。
そんなもん、まだ、出来てないんちゃうんか?……と呟くと、まだ開発には取り掛かっていませんが……設計図は存在します、と話す。どこに?……そう訊いても、秘密です、と笑っうだけ。
ネット回線でブレーンストーミング会議を開くのが、俺の仕事だ。そして科学者たちとの会話で温暖化の次に起こるのが、氷河期の到来であると結論付けた。
色んなデータの中で顕著なのは両極の氷だ。世界中の海水温度がほぼ一定値を示しても、両極の氷が少しずつ広がる兆しを読み取れば頷ける。だから海水面が上昇していないのだ。
この氷河期で文明は消える可能性もあるだろう。余りにも寒い気候では電子機器は動かない。電子の動き易い温度があるからだ。
この数十年というもの、余りにも電子機器あるいは電気動力の機械の技術に、人類は頼り過ぎた。江戸時代の職人ならば出来る手業(てわざ)が出来なくなってしまった。考える事が出来ても腕の良い職人は存在しないのだ。果たして人類は氷河期に生き残る事が可能だろうか。
俺は、地球自体を温める方法が無いか、と科学者たちと会話する。様々なアイディアが有った。二酸化炭素の増加だとかオゾン層の破壊だとか。それによって幾らかでも太陽光から得られる熱を地球に止(とど)めるのだ。しかし、それには時間が掛かる。早急に具体化出来る案が求められた。
夜遅くまでかかった、ネット会議の後で、低反発のベッドで眠りに就くと、夢の中で小型の星が浮かんでいた。
その核には鉄元素をボール状に圧縮して組み合わせた姿がある。夢では、星の内部まで透けて見えるから分かる。そして人工的に次元を広げる事で星は浮かんでいるのだ。最初に浮かべるためには超新星に近い爆発が必要かも知れない。特異点を瞬間的に生み出し重力場を作れば星は浮かぶだろう。その爆発を起こす前準備としては無重力に近い場所に簡易のコロニーを作れば良い。そこから宇宙船を飛ばして爆発させる。勿論、核兵器を何万発、いや、正確な計算では、もっと必要なのかも知れないが、緻密な計算で爆発させて大きな力を生むのだ。
その瞬間に生まれた特異点を安定させるには、ロシア科学者Mの発明した物が使えるだろう。ロシア科学者は名前を表立って出せない軍事上の事情からMと呼ばれていた。そうだ。こうして出来上がった、この星を人工太陽と呼ぼう。
翌朝、緑色の身体の未来人が、キリマンジャロを主としたブレンドコーヒーのカップを前にして、俺をじっと見つめる。人工太陽を発明しようとしているのが分かったのか。つまり、コイツは俺を殺す気で未来からやって来たのだ。
俺は、発明が浮かんだのだ、と言ってみた。だから、明日は殺してくれ、と。殺される人間が未来の事を詳しく知っても大丈夫だろう。今日は1日、未来について語ろう、そう言って様々な酒を用意した。お気に入りのブルゴーニュ産のワインも、そのひとつだ。
未来人は語った。未来で俗にバイオ・エレキと呼ばれるBE発電は葉緑体による電気の発電方法だ。2030年代初め頃には確率されていた方法で、この頃既に、日本の年間総電力量の74.6%がBE発電によるものだった。
2038年にはこの方法を応用して、人体の細胞に葉緑体を埋め込み、背中にコンセントを埋めて電子機器が使えるようになった。緑色の新人類は、その後、増殖計画が生まれ、遺伝子的に受け継がれるものとなる。
火星への移住にも太陽光さえ有れば光合成によるエネルギーが得られ、食事が必要無い点で有利であり、2042年から本格化された火星開拓の労働には全て緑色の新人類が従事している。尚、新人類は葉緑体の光合成で酸素が生成出来るため、呼吸は必要無い。
俺は全てを、部屋のあちこちに仕掛けたボイスレコーダーなどに録音していた。ただ殺される事など考えていなかった。未来の発明まで我が社が開発すれば未来永劫の不動の地位を築けるだろう。歴史に名を残すほどの発明家と呼ばれるのだ。
俺は主要な発明のアイディアを聞き出してから拳銃で発砲した。
この拳銃は、自分で作り上げた物だ。ボディは、樹脂粘土の上にテープを貼り付けてコーティングした型を作り、レジンを流して固めたもの。ボディの中は、鉄のパイプの内部を旋盤で削り直し、リューターの先に砥石やゴムを付けて平らに仕上げたものだ。銃弾も旋盤で作り上げ、火薬はマグネシウムの粉などを混ぜ合わせた。単純構造だから距離が離れれば精度は出ない。しかし至近距離ならば当てられるだろう。
発砲後、緑色の体液を流す未来人。葉巻の煙に抱かれながら、俺はゆっくりと考える。コイツの事は俺しか知らない。行方不明の届け出も無いし、葉緑体からは血液反応が出ないだろう。骨が見つかれば話は別だが、それも特殊な圧力鍋でも作って粉々にするか、骨粉を作る要領でクラッシャーを使えば良いだろう。
悪く思うなよ。俺は、どしても(どうしても、の熊野弁)人類を氷河期から救いたいんやわ。
浅い息で死と直面しながら、未来人はセラミックのような質感の腕輪に触れる。光が俺を包んだ。世界は光に変わる。地獄も天国も紙一重か。死の世界は、眩(まばゆ)く何もかもを消し去る。これが爆弾の味ってヤツか。自爆してでも未来を守りたかったんか。でも、どっちが、ええん(良いの)か、分からんけどな。俺やて、氷河期から人類を……。
夢から覚めると、清々(すがすが)しい朝だった。寝室を出て、居間に入った。いつも通り奥のキッチンで、妻と娘たちが、楽しげに朝食を作っている。
温暖化の進む地球。今夜のネット会議で、科学者たちと方策を練り上げる必要がある。なんとかなる。なんとかするのが俺の役目だ。夢に出て来た未来人は、ひょっとして平行世界(パラレルワールド)で本当に生きているのだろうか。あいつも、現状を変えようとする点では同じやったんや。
妻が、朝食のフルーツとサラダとコーンスープにパンとコーヒーを運んで来たので、未来人への思いは中断された。俺は、世界を味わおう。なんとかなる。コーンスープの甘く温かな香りにグゥとお腹が鳴った。
(了)
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