小説T-BRO'Sシリーズ『採石』
徳村慎
山の中。沢はほんの微かに音を立てる。その静かな音は僕たちの小型のハンマーの奏でる音に重なった。まるで金属のように高く煌(きら)びやかな音を立てる烏翠石(ウスイセキ:那智黒石)。この高音が出る物は最上の材質である。
僕と兄は時折、頭上に聴こえる鳥の声に耳を澄ませる。沢に沈んだ石ほどの良い石は無い。水性粘板岩(すいせいねんばんがん)とも黒色形質頁岩(こくしょくけいしつけつがん)とも呼ばれる烏翠石は、水分を含んでいる。その水分が無くなると割れ易くなるのだ。これは最終の磨き工程まで済んでしまえば割れなくなるのだが、天然のままで完全に乾いてしまえば風化が急速に進み、割れてしまう。その内部の割れ具合をハンマーで叩いて確かめているのだ。ここには上質の石が多い。ほとんどが高音の、ヴィブラフォンのような音を奏でる。
なんで、割れたんやろ?
以前は良く、父の使う石を分けて貰っていた。父は、大きな硯などの工芸品を作っている。しかし、大きな物を作るのであれば目立たない割れ目も僕たちの作るサイズのジュエリーでは加工時に割れてしまうことが良くある。何故、割れたのか、兄弟で疑問をお互い口にしながら、改善を行った。
石が悪いのだ、と僕が言った。そこで、厳選された良い石を選んで加工した。しかし、石は、それでも割れてしまったのだ。兄が幾日も考えた末に言った。これ、石の材質だけとちゃって(違って)、ウェットとドライを繰り返すから、ちゃう(違う)か?
石切りは丸ノコで行う。その際に水を掛けながら作業する。つまりウェットでのカッティングである。それから、石の加工はドライのグラインダーだ。乾燥した砥石が回転して石を削っていく。さらに兄がウェットの砥石で最終の形を仕上げてから機械磨きに入る。この水を掛ける作業(ウェット)と掛けない作業(ドライ)を繰り返した際に、冷えていた石が熱で割れるのだろう、と。
元々、烏翠石は劈開(へきかい)と呼ばれる石の割れる方向がある。昔から職人は劈開を「石の目」と呼んで板状に割る際に利用して来た。この目は数ミクロンで入っている。そこに熱が急に加わることで割れてしまうのだ。もちろん、職人の手作業が緻密で無ければ、石はどんなに冷えていても割れてしまうのだが。
羊歯の隣に腰を下ろして2人で新たなデザインを考える。メモのスケッチは僕の役割だ。これだけの質の石が揃えば、腕の振るいがいが、ある。沢は音をほぼ立てずに流れて行く。僕たちの人生も流れるものかも知れない。この山には僕たちの原点が常に存在していて、採石はジュエリーをやり始めた頃の気持ちを思い出させてくれる。初志貫徹。川は流れて、いずれ大海に出るやろ。兄ならば、……お前は、いっつもポジティブ過ぎるわァ、なんて言うだろうか。兄だって、自分の能力を常に高めて、ポジティブに生きていると思うのだが。お茶を飲みつつ山の香りの中で、濡れて輝く烏翠石を兄と2人で、じっと見つめた。
(了)
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