小説『あの世行きの列車は暮れの旅』ヒメジョオン・アザミ著
年末のコローン。コローンという鈴の音が聞こえる。あれは火の用心であろうか? NHK-FMの音に被って微かに聞こえていたが、今は消えてしまったように思う。
ラジオにはラジオの世界が在り、家の外には鈴の音。そして私は寝床で本などを読んでいるのである。
私の彼女は幽霊である。お願い一緒に死んで、と言われて、2人して海に入り、私だけが助かった。今も彼女の屍体は上がらない。鮫に喰われてしまったのか?
幽霊は語り掛ける。
ねぇ。私を抱き締めたくは無い?
うん。抱き締めたいけど、君は居ないからね。
あの世行きの列車が有るのよ。
ふむ。
逢いたくない?
ふむ。
どっちよ?
ふむ。切符を持っていないからなァ。
タロットカードの間に挟まってるわよ。
ほう。
都市伝説の本を放り出し、埃の被ったタロットカードを箱から出す。
なるほど。カードの間に黒い切符が入っている。稚拙な髑髏の絵の切符。
何処の駅に行きゃ、ええんやろ?
結局、その黒い切符は都市伝説の本のしおりに使った。花の窟の下にも駅は有るのよ。幽霊が言った。にも、と言うならば、別の場所にも在るのだろうか? ラジオからはエーデルワイスが流れている。外からは熊野消防団の声。まだ、ぐるぐる回っているのだろう。そして、布団の中の私。
都市伝説研究家という肩書きで暮らしている文筆家が私だが、研究だけでは食えないのでバイトもやっている。老人の為のよろず屋。まあ、便利屋だな。電球の交換から庭木の手入れまで何でもやっている。
そういえば走り屋の間で噂になっていた、深夜の民家の無い山道を歩く女子高生……なんて話もどうなったのだろうか? 熊野の走り屋の間では有名な話だ。その女子高生を乗せると呪い殺されるらしい、みたいな話だが、私の友人も見ているのだ。
まさか、こんな、山の中で女子高生が歩いとるなんてな……と話していた。一瞬引き返して乗せてやろうかと思うんやけど、そこは人の通ることの無い山の中やって分かると怖てなァ。
その話には別の説もある。実はその女子高生は夜の性愛を楽しむために声を掛けられたいのだ、と。それでは幽霊も性愛を求めるものだろうか。目の前の私の彼女も、そうして貰いたいのだろうか。
私は幽霊譚を思い出しつつ、ラジオを消してMDを聴いている。随分、時代錯誤の機械だが、好きな物は仕方が無いだろう。音楽を聴きながら思い出されるのは、そんな話だ。
次に思い出した地元の話も奇妙だ。
烏賊を釣っていてやっと掛かったのが実は人間の手のような物でギョッとして竿を振ると海面に落ちるんだが、仲間の手のような烏賊が無数に海中で怪しく青白く光りながらひしめき合い、救出劇を喜ぶのだという。それは烏賊釣りの人間ならほぼ誰もが経験するらしく、月の満ち欠けと手のような烏賊(本当に手なのかも知れない)の出現は関係有るなんて話だった。烏賊が求めて仲間を得られるものかと随分疑問に思ったものだ。
私は都市伝説の研究をしているが、大した経験は積んでいない。いや、実は話せば長いので積んでいない事にしているのだ。霊感はソコソコ有る。でも今その霊感が役に立つ事と言えば、まあ、海で死んだ彼女の幽霊が語り掛けてくるぐらいなものか。田舎の夜は静かだ。この静けさに押し潰されそうになる。だから私は音楽を流しているのだろうか。人は精神を病んでこそ物が見える気がする。病気とは情熱の裏返しだからだ。それでも幽霊が全て精神病の幻覚だとは私には思えないのだが。
トイレに行く。下痢に近い軟便。冷たい水を飲んだからだろうか? これは、また、布団に入って温まるに限る。幽霊の彼女は、しきりに花の窟へ行けと勧める。歩いて行けない距離では無い。無いのだが、寝床を離れがたい。私は、また、都市伝説の本からしおり代わりに使った切符を取って眺める。この黒い切符は本物なのだろう。しかし、これは片道の可能性もある。いや、そうに違いない。行って帰って来れないならば、あの男とは逢えないな。私は再び本のしおりとして切符を挟む。うつ伏せのまま、ぼーっと過ごしている。
ピロリロリコリンコン。
スマホが鳴った。出る。
「もしもし。内山か? 俺だよ。片山だ」
なんと警察の片山からだった。コイツに逢わなければあの世に行きたくなかった。想いは通じるものか。
「何だ? 年末に」
嬉しさを隠すように苛ついた声をワザと出してみる。
すると申し訳無さそうに片山が話す。
「ああ……。ちょっとお前に訊きたくてな。自殺なんだが。13件とも遺書が同じなんだ」
すっとモードが切り替わる。今でこそ研究家だが、昔はそこらの退治屋より腕は良いと自負していたものだ。大した経験は積んでいない、とは謙遜のつもりだ。なるべく声のトーンは変えたくないが少し変わってしまった。
「ふうん。どんな?」
声が変わったのを聞いて片山が少し嬉しそうに話す。
「"ウルエマが来る"と書いてあるんだが。東京だけで13件だ。噂では地方でも似たような事を書いて死んでるらしいな」
私は、また、興味無い振りをしてみる。
「ふうん。都市伝説研究家の私に用か?」
大声で片山が元気に言う。
「当たり前だろ。大学時代はヤマコンビって言われてたろうが」
私は興味の無い振りを諦めて、それでもワクワクした気持ちを隠しながら仕事の話を進める。
「じゃあ、1月に調査開始か?」
その時期を聞いて片山は焦った声を出した。
「今すぐだ。俺もウルエマって言葉でネットで検索したけど、都市伝説で、遺書に"ウルエマが来る"と書いて自殺する、としか分からないんだ」
そうだ。ネットは情報が多くても専門知識には辿り着けない事も多いのだ。
「やろうな。ネットだけじゃ分からんよ」
片山はゴクリと唾を飲んで、待ってました、とばかりに言う。
「だから、お前の力が必要なんだよ! 幽霊と話せるんだろ!」
片山の言ったのは一般的な幽霊だ。でも、今、私が常に話しているのは、片山も知っている彼女だ。私は弱味を自ら曝け出す。
「まあ、あの心中事件では、お前に助けられたからな……」
それは片山からは決して言わない話題だ。そこで勢い付く片山。
「だろ? だろ? それから妖怪や幽霊の事件を随分在学中に扱ったなァ」
片山は微妙に話題を膨らませて話題を変えている。ありがたい。私はひと呼吸置いて喋る。
「ああ。そうやったな……」
思い出した振りだが、思い出したんじゃない。決して忘れたりはしない。片山は私にとって特別なのだ。知力と体力の限りを使って共に戦った仲間だから。
年末はTVでも見ながら過ごすつもりだっだが。高速バスで夜の間に東京へと向かう。知り合いがバス会社の運営をしているから無理に頼み込んで乗ったのだ。さすがに社長直々の願いとあってバスの運転手には緊張が見えた。バスの中で、ホテルではゆっくりTVが見れるだろうか……? そりゃ無いか? なんて考えていたら何時の間にか眠りに落ちていた。片山と彼女と私の出て来る楽しい夢を見た。
「おい! 内山!」
バスを降りると手を挙げる片山が白い息を吐きながら声を掛けて来た。電話で聴く声よりも芯の通った昔からの声だった。これが私の好きな声だったんだ。
東京はヒートアイランドだから暑いのかな? なんて考えたけれど、冬の東京は熊野よりも遥かに寒かった。大学の頃の夏の東京は熊野よりも暑かったのになぁ。でも、そういや冬は物凄く寒かったのも思い出した。
「何だ、出迎えか」
私は自分があの頃より老けたのを気にしながら不機嫌な声を出す。コイツも家庭があるんだし。私とは違って孤独じゃない人なんだ。まあ、幽霊の彼女なら私にだって居るが。彼には、温もりの感じられない彼女とは違う、生きた香りのようなものを感じていた。妻や子供が居るとこうも違うものか。
「お前が逃げないようにな」
出迎えか、との私の惚けた言い様に片山はムッとしながら答える。そして何故か背を向けたのが、無理に視線を合わさないように感じられた。まるで私にワザと冷たくしているようだった。余程私とは逢いたくなかったのだろうか。
警察権力を利用したのか、堂々と路駐した自動車に乗り込み、自殺者の住んでいたアパートに向かう。車中もそんなに温かく無い。さすがに息が白くなるほどでは無いのだが。
「そんなトコ、行ったって、なんにも無いやろ?」
私が片山の知識を試す。どうせ嫌われ者なら、と余裕の表情で片山を見つめてみる。こんなに冷たいのならば、あの頃も本当のコンビだったのかが確かめたくて。
「この世の者は無いだろう。お前なら何かが見えるよ」
俺もさすがに覚えてるぜ、という感じの顔で片山が言った。さっきとは違う温かさが伝わって急に目頭が熱くなった。私に優しくするな、と言いたかった。
彼はハンドルを握り私を見ない方が会話がスムーズに出来るようだった。これは私の思い違いだろうか。
でも、お互いに緊張していたのは間違いない。何せ、大学以来の怪奇事件の解決に乗り出したのだから。でも、今回は解決するんだろうか? 私は少しだけ不安になった。
都市部から郊外へと走り、辿り着いた朝の闇に囲まれたアパートは静かだ。静かだから悪い気も潜んでいるのだが。アパートの前に2人で立つと、一瞬、私は足跡のような影が見えた。
「足跡? どんな人間だ? 大きいか? 男物か?」
片山が焦れたように尋ねる。
「この世のモノじゃ無いなァ。鳥みたいな……。それでいて恐竜みたいな……」
私は足跡の説明をしながら少し腕を摩る。少しでも温めないと寒くて辛い。
「ふうん。その鳥、何処へ向かっているんだ?」
片山の吐く息が白い。息だって何処かへ向かうのだ。
「ううん………。分からん。あの世かいねぇ?」
私の熊野弁が青く鋭く感じる空気に飲み込まれて行った。
「へえ………。お前の冗談交じりの話は案外当たるからなァ」
片山は眉をひそめる。
私と片山はアパートを背に暗闇を見遣った。目を凝らしても何も見えない。鼻先にツンと冷たい氷の匂いがした。
「雪か……」
私の言葉に驚く片山。
「え? 降るのか?」
片山はスマホで天気を確かめている。そんなものに頼るから気の流れすら読めないのだ。まあ、そこが片山の良い所か。
アパートが明るくなっていく。冬の太陽がようやく昇ったのだ。それでも太陽は分厚い雲の中だ。雪もチラチラと降り始めた。やはり暗いな。寒さにマフラーを巻き直す。
「冬だな。中々日が昇らねぇもんだなぁ。もう、こんな時間なのに」
片山が冬を憎むようにボヤいた。
雪が降り続いている。白い息を吐きながら会話していると身体の芯が冷え切って来る。
片山が思い遣りを見せる。
「内山。車の中で眠れよ。次の現場まで……」
私は答える。コイツの傍なら元気になれる自分が憎い。
「次の現場? その必要は無いわァ。多分、海の方へ行ったんやろぅ」
私の言う方向に片山が首を傾げる。「海? でも鳥みたいな奴だろ?」
私は自分の指先を見つめて笑い、ウルエマについての自分の意見を述べた。
「ウルエマには色んな形があるんやな。恐怖の形が人に寄って違うように。都市の中心部の寸断された龍脈は結局流れて海に出る。無駄足かも知れんけど、そっちを先に一応見とこう」
車に乗って高架下を移動する。街灯が消えた。闇が襲う。高架下だからか、それとも……?
ドンッ。衝撃で車が止まる。突然車が何かに当たったのだ。
「ヤバい。人だ」
片山がシートベルトを外そうとする。
「出るな! 片山」
悪い予感に私は片山の左腕を掴んだ。
その瞬間。
ドン。血の手形がべたりとフロントガラスに付いた。バンバンバン! 血の手形が次々に付いていく。
人間のものでは無い重低音の声がした。
「ウルエマを追うな!」
泣き叫ぶ片山。
「ひえぇ! もう追いませんッ!」
静かに私は言い聞かせる。
「ビビんな、片山ァ。 これぐらいでさァ。私達は追うしかないんや!」
もう恐怖の余り追いたい気持ちなど無くなったのだろう。声を震わせて片山が言う。
「こんなに怖いのに、もう動けねぇよ!」
私は変な臭いに気付いた。
「なんか臭うぞ?」
「失禁した」
雪の降る海辺。倉庫街でトラックばかりが目立つ。ゆっくりと車を走らせて気を感じようと静かに集中する。
「この何処かやな……」
私は車から外を見回す。
「何処だよ?」
失禁して着替えた片山はビビりまくりながら車を運転する。
「ここだ」
私の小さな声でも片山は聞き逃さない。昔からそういう奴なんだ。
車を停めて倉庫に近付く。
ファサァァッ。急接近した黒い翼の影が風と共に私達を包んだ。真っ暗闇が襲い掛かる。包まれた途端に、ゴォォォッと飛行機が近くを通り抜けるような音がして、他には何も聞こえない。そして、それは通り過ぎて行った。
「しまったな……」
私は気付いた。
「しまったって何が?」
片山がようやく屈めていた身をしゃんと立たせる。
「さっきの風やよ。あれがウルエマやろうな」
私は怖さで震えが止まらない。
「そうなのか……」
片山の声には私の震えに気付いていない様子が伺える。ホッとした。
「多分。この倉庫では誰か死んどるやろね」
屍体の表情が頭をよぎる。まあ、これぐらいの霊感なら私にも有る。
「また自殺か……。見て来ようか」
片山が寒気がするような表情で言った。
私達にそんな暇など無い。
「いや、部下に行かせたら。次に向かうのは駅やで」
「駅?」
片山が驚き、安心した様子だ。屍体など見たくないのだろう。
私は宣言する。
「もうお前は付いて来んといて。危険やわ」
片山は怒鳴った。
「馬鹿野郎! お前だけを行かせる訳にゃいかんだろがッ!」
その言葉から片山が本気なのが伝わって来る。また泣きそうになる。コイツの前ではもう泣きたくなかったから必死で堪えた。涙を見せるのは海から助けられた時だけで終わりだ。
でも片山は分かってるんだ。数々の事件を解決したんだもんな。やっぱ、ヤマコンビは一緒が良いのか。私は大きく頷く。心強いな。さすがにその小さな呟きは聞こえないようにと祈った。
東京駅。人の流れを掻き分けて突き進む。片山が後ろから必死に付いて来る。次第に霊気が流れて来る。人の群れは次第に青白い表情の群れに変わる。背中にナイフの刺さった男や、頭が半分焼けて溶けた女や、腐って蛆の湧いた男女の区別もつかない人間が歩いている。牛や馬の頭の人間も居る。小人や気味の悪い虫が床を歩いている。鴉を肩に乗せた黒マントの老人なんかも歩く。片山を振り返ると泣きそうな顔になっている。
だから、付いて来んなって言ったのに。本当に、心強いなんて呟きが聞こえていないことを祈った。こんな奴を一瞬でも頼りにしたと知られたら、この先生きて行けない。私は東京に来て初めて自分を恥じた。恥じの多い人生でした、とかの文豪も書いていたではないか。全く。この野郎ッ。
「これやよ」
私が顎で示したのは列車だ。
「これか」
諦めた表情で短く答える片山。
私達は乗り込んだ。これがあの世行きの列車だ。やはり花の窟だけでは無いのだな。ウルエマの謎もここに乗る自殺者から聞き出せるかも知れない。しかし、同時に人間界に帰って来れるという保証も無いのだ。どれが自殺者なのか?
ああ、あれだな。見つけた。近付いて話し掛ける。
「貴方ですね? ウルエマが来ると書いて自殺したばかりの人は」
自殺した者は口を開く。
「あ゛……」
「ウルエマについて知っていますか?」
私は尚も丁寧に尋ねた。
「お前達の見たのはウルエマじゃ無い……」
目を見開き語る自殺者。
突然のハッキリした声に驚く。
「え?」
「ヒヒヒ。もう戻れんわ」
口を歪めて笑う自殺者が怖い。
冷や汗が噴き出た。やはり、そうか。そうなのか。私は間違っていた。妖魔と戦った経験だけでは、この世界では通用しない。
ズズッ。洟をすする音がした。見ると片山は涙と鼻水を流していた。
「片山ァ。私と心中は嫌か?」
私は妙に冷静になって笑顔で尋ねる。
「お前はバイだから、そんなこと言えんだよォ。誰でも良いんだろが。俺は好きな女と死にたいわッ!」
泣きじゃくる片山を見ると本当に笑いが込み上げて来た。結婚して幸せなんだなぁ。こんなにも愛される嫁さんは羨ましい。片山、お前は妻を持って良い男になったな。
結構、人が乗っているものだ。あの世行きの列車に。
周囲が暗い。地下へ入ったのか。窓を見ると外に銀河や星雲が見える。あの世とは天へ昇ると同時に地下へと入る事なのか、と納得した。その空間で思い出したのは、ある男だ。
高校の時に男の精を喰い尽くしたことがあったのだ。次の日から男は生気の抜けた顔で学生生活を送った。私の力を増大させるには必要だった。誰かを踏み台にしてでも登るのだ。世界の真理を知りたいから。
「あああ。ガールズバーで飲んでおくんだった。巨乳のレイカちゃんが可愛かったのにさァ」
さっき片山が好きな女なんて言ってたのは嫁さんのことじゃないのか。全然良い男なんかじゃ無い。男なんて、そんなものなのか。コイツを好きだと思っていた自分を恥じる。文豪よ、貴方は偉かった。恥という真実を世に残すのが文豪なのですね。
レイカちゃんの事をブツブツ呟いている片山は、悲劇の主人公の積もりだろうが思い切り喜劇じゃないか。私は笑いが込み上げた。だから男は信用出来ないなァ。でも女にだらしの無い彼を好きだったのも私だ。
死者だらけの列車で、無駄に過ごすのも勿体無い。私は文庫本を取り出した。柳田國男の『妖怪談義』だ。何度読み返しても面白い。幽霊は人に付き、妖怪は場所に付く、とは言い得て妙。しかし、とある妖怪ものの漫画の解説には、地縛霊は、この2つが合わさった新種の幽霊と断じていて、これも中々だと思ったものだ。日本のとあるホラー小説には思念とは生命体であると書いてある。まあ、生命の定義が曖昧であれば通用する話かも知れない。それが幽霊の正体でもある、とする意見は面白い。
ウィルスとは生命ではない、という考えがある。自己複製能力を持たないから宿主に複製してもらうのだという。この自己複製能力を持つものが生命だというのだ。
昔習った生物の授業だったと思うが、海の中にDNA自体が生命より前にあったという話がある。私はDNAとは人体などを作る際の設計図だと考えていた。では完成された物の無い設計図が有ったという話であろうか?兎に角、私の印象としては、生命と生命で無い物の境など、容易く分かりはしないのだ。
思念が生命であるならばユングの考えた共通無意識とは、或いは思念の生命体の暮らす場であるのかも知れぬ。であれば、チャネリングで別の惑星と繋がる人間も本当の出来事である可能性もある。それが死者の国である可能性もあるだろう。であれば、この死者達は思念であり、我々人間も思念であるのだから、死後の世界とは、こうして列車で生きたまま行ける場所であるのかも知れない。
しかし、考えてみれば思念に場所など必要無いだろう。もしも、思念とは物理学の物質であって、素粒子の流れる波であれば、人間だって、その波が消えてしまえば、思いなど無くなり生きていられないのかも知れない。或いは物質として、この世に留まることさえ出来ないのでは無いか?
原子核の周りを回る電子のように。
そして、思い巡らせば、果たして、この列車に時間など存在するのだろうか? ウルエマの謎は謎のまま。しかし、あの世に向かう列車など、期待以上の成果だ。じゃあ、彼女に逢えるのだろうか? 私は真理が知りたい。ウルエマを知りたい先に有る物が大事だ。
ギキィイイ。軋む音を立てて、列車は止まった。何だ。普通の駅に止まったのか。しかし、その駅のホームに在るのは、まるでラヴクラフトの小説に出て来る物そっくりな石の柱だった。訳の分からない古代文字で埋め尽くされている。もしやあの作家も夢か何かで死者の国を見てしまったものか。
「片山。着いたみたいやぞ」
私が片山を見れば、涙と鼻水で顔をてらてらと濡らした片山は、どうせこの世には戻れないんだろ? と言って私を恨んだような目付きだった。この世って、あの世に着いて、この世と言えば死者の国の事になる、とは言えなかった。
「ふん。お前だけは地上に返したるから心配すんな」
私は愛を込めて語る。片山が可愛く思えたのだ。こいつを虐めて恋愛したら面白いだろうとニヤけた。いや、実際に大学時代には虐めてみた事もあるのだが。
「行くぞ片山」
私の言葉からは愛情が感じられないらしく、片山は睨んだまま。私はそんなにポーカーフェイスなのだろうか? こんなに愛に満ちているのになァ。
私達は石の彫刻の異形の前を通り過ぎて、出口の1つへと向かう。
光というか炎に近い空気が眩く照らす。太陽のような熱を持つ土地だ。真夏だな。マフラーを首から取って小さく畳んで片手に持つ。片山は背広を脱いでいる。私もそれに習って背広を脱いだ。背中は汗でシャツが張り付いていた。シャツの胸元を掴んで風を入れる。片山は私の胸をチラリと見て視線を逸らす。胸などあまり無い私でも良いのだろうか?
丘の上に改札口がある。石の転がる小道の先に改札があって緑色の肌の人間が居た。髑髏の絵が印刷された切符は、その蛙のような顔をして眼が6つで腕が4本の駅員が受け取った。良く分からないが、2人分の切符だったらしい。ここで片山が超過料金というのか、タダ乗りを咎められたらどうしたのか、と今考えた。私は、どうも運が強いらしい。いや、この場合は片山の運を褒めるべきか。
丘を下ると農園を3つの太陽が照らしていた。茶畑のように見えた。太ったおばさんが働いている。茶摘みをしているのだろう。
視界の端から逢いたかった彼女が歩み寄る。死者の国で、やはり逢えたのだ。君は、この世界では、幽霊やない生身の人間なんやねェ。私はそう嬉しく思った。
彼女は赤い切符を用意していた。私は、それを受け取って片山に渡す。そして疲れ切った片山をその場に座らせて、茶畑に近付いて行く。私には分かっていたのだ。彼女が私を現世に帰す切符を持っていると。しかし、私に帰る気など無かった。
長い距離を歩くとようやくおばさんの大きさが分かった。太ったおばさんは5mもの背丈が有ったのだ。
その時、音も無く、背後から赤くて大きな鳥が20mは有るだろう巨大な翼で舞い降りて片山の両肩を掴んで飛び上がるのが見えた。大空へと飛べたならどんなに気持ち良い事か。私も飛んでみたいな。片山の顔は恐怖に引き攣っていたようだが。
飛ぶ片山を見て笑いながら駆けて来る君。本当に可愛い。大学の時のままだ。私は自分の歳を考えてため息が出た。それでも好きだという思いは変わらない。
あの鳥ならば現世へと戻せるのだろう。私は少し失恋した気分で空を飛ぶ鳥に掴まれた片山を見た。アイツの事だ。恐怖で失禁でもしていなければ良いが。
茶畑の真ん中で、おばさんが尋ねる。
「ウルエマを知りたいのかい?」
私は、追い付いて胸を上下させる君の手を握り、はい、と答える。
そしておばさんの指差す方向を見やった。
彼処に真実の欠片でもあれば私は幸せに成れるだろう。しかし、人生は探求する事が楽しいのかも知れない。そう思い直しながら後ろから抱き締めて彼女の柔らかな首にキスをする。兎に角、前に進もう。私達は一歩ずつ彼方へと近付いて行こう。この果てしなく続く農園の向こうへと。一歩ずつで良いのだから。言わば、私だって、あの世に産まれたばかりの赤ん坊なのだから。
3つの太陽は真夏の暑さで地上を照らしている。続く道の先に太陽が在るのかも知れない。そんな馬鹿げた考えこそが真実である可能性が高く思えた。運命も馬鹿げた可能性と言えないだろうか。彼女と結ばれるなんて不思議だから。
ウルエマに導かれて自殺することは幸せであるのかも知れないとも思えて来ていた。向こうに行けば分かるはずだ。幸せとは何かが。この希望は現世では叶えられなかった同性結婚への想いの反動だ。言わば私は結婚へのコンプレックスが有ったのだろう。夢は叶うものだ。過去の自分を少し笑えた。
広がる道を前に風が吹き抜けた。彼方から呼ばれた気がして、君の手を強く握って歩く。この柔らかな掌が私を包み込んでいる。
(了)
この『あの世行きの列車は暮れの旅』は2013年の暮れに書いてて。で、再び続きを書いたのが2014年の10月なんですね。
久し振りにコラボではない自分の小説を書いて、やっぱ小説って面白いなぁ、と思いました。色々と、また、書き進めたいものです。ホラーが書きたかったんですが……えらい、ほのぼのしたもんになってしもたぁー。(熊野弁)
えーと。参考文献というか、作中の書籍について。柳田国男『妖怪談義』は面白いですよ。ラヴクラフトも面白いです。文豪とは太宰治だったと思います。妖怪の漫画とは水木しげる『ゲゲゲの鬼太郎』です。日本のとあるホラー小説は鈴木光司『リング』です。
花の窟、とは熊野市有馬町にある、日本書紀に出て来る日本最古の神社です。僕はどうしても熊野の人間(過去、現在、未来であれ)を小説に登場させたいと思って書いてます。ええ。熊野市の人間ですから。でも、熊野という地方は、もう少し広くてですね。和歌山県、三重県、奈良県も熊野古道があるんですね。熊野三山と言えば、和歌山県にある本宮、那智、速玉の3つの神社ですね。
ちなみに花の窟に祀られているのはイザナミです。神々を産んだお母さんの神様ですね。
そして舞台は東京なんですが。東京駅ってレンガで出来ていて非常に美しい建物ですね。謎めいた雰囲気があるので好きです。
列車の都市伝説では都電の幽霊があったそうですね。物にも魂を宿らせるアニミズムの考えが現れていて面白いです。そもそも、このアニミズム(万物霊性)という考えは花の窟のような巨岩信仰、あるいは巨木信仰などにも見られます。
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』も最後まで読むと死んだ友人との旅でしたね。ああいう名作を作りたかったんですが難しいですね。(僕が作品に熊野弁を取り入れている点は宮沢賢治が方言を小説に使うのと同じなんです。僕はその点で宮沢賢治を非常に尊敬しています。)
あと影響されてるのは映画の『MIB(メン・イン・ブラック)』かも知れないですね。あの宇宙人のデザインには痺れます。雰囲気的に駅員のデザインに活かしてみました。
ここまで読んで頂き誠にありがとうございます。これからもヒメジョオン・アザミを宜しくお願い致します。
m(_ _)mぺこり。
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