(50) バルトーク・ベーラ(1881-1945):ヴィオラ協奏曲(1945)

 少なくとも知名度からいったらヴィオラの名曲中のナンバー1である。確か作曲家の柴田南雄は古今東西の弦楽の協奏曲の中の最高傑作といっていたのではなかったか。ところがそのナンバー1が未完成作品で、他人の手が入っているというのも皮肉な話である。

 バルトークの晩年、アメリカ時代についてはファセットの『バルトーク晩年の悲劇』(みすず書房)に詳述されているが、現在品切れ。
 バルトークは、ナチス化したハンガリーを嫌って1940年にニューヨークに渡ったものの、この都会に馴染めず、一旦は創作意欲をなくしてしまったばかりか、恐らく1941年頃から体調を崩し出す。結局それは白血病だったのだが、1943年、病床のバルトークを訪れたミューズは指揮者のクーセヴィツキーだった。彼の委嘱により管弦楽のための協奏曲が書かれ、続いてメニューインからは無伴奏ヴァイオリン・ソナタを求められた。バルトークの創作欲は大いに高まり、さらに、ウィリアム・プリムローズからのヴィオラ協奏曲の委嘱を受けるとともに、死を覚悟した彼は、妻ディッタの収入源となるように、彼女のためのピアノ協奏曲を書き始める。弦楽四重奏曲第7番の構想もあったらしい。
 死の年の1945年にプリムローズからヴィオラ協奏曲の委嘱を受けたバルトークはこの楽器の可能性を十分把握していないと述べる。そこでプリムローズはウォルトンの協奏曲の演奏会にバルトークを招くのだが、健康状態が思わしくない作曲家は出席できない。しかし、あとでその放送録音を聴き、プリムローズの演奏に強い印象を受け、委嘱を受けることとなる。
 しかし、白血病はそれらの完成を許さない。亡くなったバルトークの仕事机には、ほとんど完成したピアノ協奏曲第3番とヴィオラ協奏曲の草稿が残されていた。
 終結部のオーケストレーションのみで事足りたピアノ協奏曲に対して、ヴィオラ協奏曲の方は草稿段階に留まっていた。補筆完成を託されたのはハンガリー生まれでアメリカに渡った作曲家ティボール・シェルイ(英語読みならシェリー)。若い頃にブダペスト音楽院でコダーイに教わったこともあるし、自身は1920年代にヴィオラ協奏曲を書いてもいる。ただ、ニューヨークに係累のいない遺族にしてみれば、他に完成を頼む人とていなかったものと思われる。補筆作業は難航したようで、完成をみたのは1949年。病床のバルトークはプリムローズに対して、ヴィオラ協奏曲は頭の中ではすでに完成しており、あとは総譜を起こすという「機械的な作業」だけだと述べているが、その機械的作業はあまりにわずかしか進んでいなかった。
 最初は完成不可能と思ったシェルイだが、作業を始める。ところがあまりの素材の少なさにプリムローズは興味を失ってしまう。シェルイのコンサルタントとなったのは、彼のヴィオラ作品を手がけているヴィオリストのエマニュエル・ヴァルディで、シェルイはヴァルディに初演権を与える。さらにこの作品をチェロ用にしてくれというチェリストの申し出が遺族になされる。作品がある程度形をなした1948年、シェルイはピーター・バルトーク宅での試演にヴィオラ版とチェロ版を用意して、友人たちにどちらがいいか投票してもらった。それがなんたることか、8対6、保留2で、チェロ版が勝ってしまったのである。ところが、この段階で再びプリムローズが興味を持ち、バルトークからの手紙を法的根拠に初演権は自分にあり、これはヴィオラ協奏曲でなければならないと主張し、辛くもヴィオラ協奏曲はヴィオラ協奏曲でなくなる難を逃れたのである。補筆の最終段階ではプリムローズがシェルイに協力した。
 初演はもちろんプリムローズ。
 モデラート、アダージョ・レリギオーソ、アレグロ・ヴィヴァーチェの3楽章。おそよ20分。

 手元には11種の録音がある。ニューヨーク・ヴィオラ協会のサイトをみると、20種ばかりの録音があるようだ。

 まずは歴史的名盤。プリムローズのヴィオラ、シェルイ指揮、息子ピーター・バルトークによる録音。昔から優秀録音で有名だったが、下記のOtakenレコードのCD復刻を聴くと、下手なステレオ期の録音より音質がいいのでびっくりする。演奏も古くさいなんてことは微塵もない。

Bartok.Primrose
HMV Japan

 シェルイは大変困難な仕事を誠実にこなしたと思われる。自分の完成作業のあとも、バルトークの草稿は保存していくように希望したというのも、その現れだろうが、出版後、草稿は彼の手を離れてしまう。ピーター・バルトークは1954年から1978年のあいだ、草稿の所在は不明としていたが、シェルイはフォトコピーを作っており、シェルイの死後に未亡人の手によって大学図書館に寄贈され、再び世に出ることになった。
 これを踏まえて、息子のピーター・バルトークの監修のもと、デラマジョーレがシェルイの仕事を洗い直した版(1995)が作られた。これはシェルイやプリムローズの考えよりも草稿の指示を尊重したものと考えたらいいと思う。3楽章の発想はアレグロ・モデラート、レント、アレグロ・ヴィヴァーチェとシェルイ版とは異なっている(草稿には指示がないのである)が、全体の大きな流れはシェルイの再構成を踏襲している。ただし、フレージングなどはシェルイ版と大きく違って、シェルイ版に慣れた人には弾きにくいことが今井信子の本には書かれている。
 Naxosのホン-メイ・シャオがソロをとったディスクはデラマジョーレ版とシェルイ版の両方が収められている。オーケストレーションなどの細部に違いが聴き取れる。まず冒頭、ヴィオラ・ソロに答えるのがチェロとコントラバスのピツィカートなのがシェルイ版。デラマジョーレ版はティンパニである。デラマジョーレ版は第2から第3楽章の移行部にシェルイ版ではカットされている挿入句があったりする。

Viola Concertos

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 ブカチ盤は、冒頭ヴィオラ・ソロに答えるのがティンパニでデラマジョーレ版と知れるが、シャオ盤にあった挿入句がなく、どういう版を使っているのかよくわからない。

Bartok: Viola Concerto

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 ハンガリーのヴィオリスト、チャバ・エルデーイによる補筆とオーケストレーション(2001)はデラマジョーレ版とは別に1979年に公開された草稿をもとに作成された。エルデーイは学生時代にこの曲を勉強していた頃から、シェルイ版の非ハンガリー的、非バルトーク的なところが気になっていたという。ピーター・バルトークから草稿のコピーがブダペストのバルトーク資料館に送られてからというもの、彼は草稿とシェルイ版の違いを研究しだし、まずは草稿に基づくピアノ・スコアとヴィオラ・パートを作成、クルタークやエトヴェシュなどの作曲家やハンガリーの音楽学者と議論を重ねる中で考えを煮詰め、バルトークの様式に沿ったオーケストレーションを試みるのである。
 シェルイはコダーイの弟子で、よりロマンティックな作風の持ち主である。彼のヴィオラ協奏曲を聴くと、シェルイ流がかなりバルトークの中にはいってきている印象がある。エルデーイ版はハンガリー民謡とバルトークの語法に親しんできたハンガリーのヴィオリストがいまいちどバルトーク的補筆を試みたというところが売りである。

 バルトークからプリムローズへの手紙によれば、楽章は4つだったが、完成した版は3楽章。「それは4楽章になると思います。つまり、真摯なアレグロ、スケルツォ、(比較的短い)緩序楽章、アレグレットで始まり、アレグロ・モルトになる終楽章。少なくとも3つの楽章には反復する(ほとんどヴィオラ独奏の)導入、一種のリトルネロが付きます」。しかし、後にバルトークは3楽章に考えを変えたと思われる。
 エルデーイ版は6つのトラックが切られておりびっくりするが、全体の流れが大きく違うわけではない。アレグロ・モデラート、リトルネロ、レント、リトルネロ、スケルツォ、アレグロ・ヴィヴァーチェ。各楽章をつなぐヴィオラ独奏部分をリトルネロとしてトラックを切っているのはわかるとして、スケルツォとは何だということになる。これは第3楽章の冒頭というか、第2楽章からのブリッジ部というか、ヴィオラが重音で激しいパッセージを引く部分のことである。この部分、シェルイ版ではヴィオラのソロが終わるとすぐに終楽章の舞曲にはいっていくのだが、デラマジョーレ版ではヴィオラ・ソロのあと、オーケストラが同じパッセージを繰り返すようになっており、それが上述の「カットされた挿入句」の意味である。デラマジョーレ版と思われるブカチ盤は何故かこれを欠くのである。
 エルデーイ盤ではヴィオラ・ソロの部分は弓奏ではなくピツィカートになっている。これは1948年の試演の時にはピツィカートになっていた。エルデーイは1948年の録音の存在を知らず、しかし同じ結論に到達した。アッチラレンドするヴィオラを受けてオケが激しく反復し、もしかするとあったかも知れないスケルツォ楽章を偲ばせる。この楽節はエルデーイ版において完全に復元されたという。とりわけスリリングな部分である。

 ConcordanceというレーベルからCDが出ているが、これはニュー・ジーランド交響楽団の自主レーベルのようだ。エルデーイが自身のヴァージョンを演奏するときに障害となったのが著作権である。作者の死後75年に延長していない国ということで、オーストラリアとニュー・ジーランドのヴィオラ協会が後押しし、ニュー・ジーランドで初演されたのである。そうしたこともあって、Concordanceに直接注文するしかなさそうである。
 でもこれは是非お聴きいただきたい。

Concordance

 シェルイ版はいろいろあるが、不思議と今井信子が録音していなかったり、また、廃盤も多い。
 バシュメトはブーレーズ指揮ベルリン・フィル。バシュメトの弾きっぷりはロマンティックで、ブーレーズの指揮も柔和。

バルトーク:協奏曲集/ブーレーズ(ピエール)

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 メニューインの古い録音が現役なのに、タベア・ツィンマーマンのはボックス・セットでしか手にはいらない。甘い音色が美しいバルトーク。

Bartók: The Concerto Album

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 カシュカシャンからはもっと厳しいバルトークが聴かれる。

Bartok: Concerto for viola; Movement for viola & orchestra

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 ベルリン・フィルのヴィオラ奏者だったヴォルフラム・クリストのソロ、小澤征爾指揮ベルリン・フィルはソロもさることながら、オーケストラが雄弁で面白かったが、廃盤のようだ。