「20世紀少年」解読 衝撃!? 「ともだち」の正体は●●●●君ではなかった (ネタバレ) | 精神科医・樺沢紫苑の脳内情報館

「20世紀少年」解読 衝撃!? 「ともだち」の正体は●●●●君ではなかった (ネタバレ)

   

 以下、「20世紀少年 <最終章> ぼくらの旗」の完全ネタバレ考察になっています。「20世紀少年 <最終章> ぼくらの旗」のラストシーン、「ともだち」の正体も書かれている、完全ネタバレ考察になっていますので、まだ映画を見ていない方は、ご注意ください。

 以下、文字反転させてごらんください。
 以下、特に断りがない限り、映画版「20世紀少年」に基づく、解釈、分析になっています。


■ 「ともだち」の正体が、カツマタ君だったという納得できない結論

 「ともだち」の正体は誰か?

 おそらくほとんどの人は、その一点に注目して、映画「20世紀少年 <最終章> ぼくらの旗」を見たに違いないでしょう。

 「ともだち」の正体は・・・カツマタ君。

 カツマタ君って、誰?  ほとんどの人は、そう思ったはずです。

 カツマタ君は、「カツマタ君というのは・・・」と、説明されなけれはば思い出すことすら難しいほど、存在感のない人物でした。これは、推理小説でいうと「今まで一度も登場していない人物が犯人でした」みたいなオチで、ほとんどの人はにわかには納得できなかったと思います。私もその一人ですが・・・。

 カツマタ君の少年時代の素顔は、映画には全く登場しません。原作の漫画でも、後ろ姿だけで、終始「お面の少年」という扱い。映画「最終章」の、クレジット後のラストシーンで、中学時代のカツマタ君がようやく素顔で登場します。

 「フナの解剖の前日に死亡したカツマタ君」。話の中で名前は出て来るものの、ビジュアル的には一度も出てきていないこの「カツマタ君」が、「ともだち」の本当の正体だと言われても、感情移入もできないですし、ただ「唖然」とするしかありません。このオチでは、意外性に満ちた驚愕のラストにならないことは明白なのです。しかし、原作の浦沢直樹氏も、当然、そうしたリアクションを知った上で、こうした結末を描いていると思われます。

 あるブログを読んでいると、「これじゃあ別にカツマタ君じゃなくても、誰でもいいんじゃないの?」という批判的な問題提起をしている方がいました。私はこの「カツマタ君じゃなくても、誰でも良かった」という指摘は、20世紀少年」の本質的なテーマにつながっているような気がしました。

 「ともだち」の正体暴露のシーンが映画では、次のように描かれていました。二足歩行ロボットの中から出てきた「ともだち」は、ヨシツネ。しかし、それは単に眠らされて、「ともだち」のマスクをつけさせられていただけ。次に、本物の「ともだち」が現れて、マスクをとると第一作でフクベエを演じていた佐々木蔵之介が顔を現します。、
 フクベエが「ともだち」の正体か・・・と思ったら、ケンヂがそいつはフクベエじゃなくて、カツマタ君だと言い出して、
ようやく本当の「ともだち」の正体が発覚します。
 
 この数分のシーンを真面目に見ていとると、実にバカらしい気持ちにすらなってきます。実に表面的というか、本質的じゃないというか。「ともだち」の正体は実だれでもいいんじゃないの・・・という原作者、あるいは映画演出者の意志が、どうみても存在しそうだという気がしてきます。


■ カツマタ君でなくてもよかったのでは?

 実は、浦沢直樹氏自身も、「20世紀少年」は謎解きや犯人捜しの作品ではない、と語っています。これらの事実からも、「ともだちの正体はカツマタ君」というラストにこだわるほどに、「20世紀少年」のテーマから離れてしまうという気がするのです。

 「ともだちの正体はカツマタ君」。
 これは、ラストになって突然に浮上した新事実でありますが、「ともだちの正体はお面の少年」という事実は、映画(原作)の最初から、最後まで一貫して描かれていたはずです。

 「ともだちの正体はお面の少年」、これは間違いなさそうだし、そして全ての観客(読者)も同意するでしょう。

 スバリ、私は、「"ともだち"の正体は、お面の少年」と考えます。
 
 要するに、「誰でもあり」だと。
 
 「お面の少年」は、あたなの少年時代の、同級生だったA君かもしれないのです。あなたは、ただ自分がイジメていた事実をすっかり忘れているかも知れない・・・という。つまり、「我々のまわりにも私たちが無意識にイジメていたカツマタ君がいたのではないですか?」これを、「20世紀少年」の作者は、私たちに突きつけているのではないでしょうか?

 だからこそ、「カツマタ君の素顔は描かれていない」のではなく、「カツマタ君の素顔は、描かれてはいけない」のです。「カツマタ君」というのは、いわば「少年A」であり、全国のいじめられっ子の人格を代表して登場させられた集合的人格にすぎないわけです。それゆえに、「お面の少年」でなければいけなかったわけです。


■ 「思い出せない」という描写の重要な意味

 「お面の少年」のことがよく思い出せない、という描写が映画版第一作から、何度も何度も出てきます。「最終章」のクライマックスで、ケンヂがこいつはフクベエじゃなくてカツマタ君だと指摘しても、オッチョやヨシツネたちは、まだ全く「カツマタ君」のことを思い出せません。この「思い出せない」という描写が、「20世紀少年」では何度も、何度も繰り返されています。

 一般論になりますが、イジメの加害者というのは、「イジメをした」という感覚がないのが普通です。加害者としては、おもしろ半分であり、単にからっかっただけであり、おふざけ程度。場合によっては、「遊び」としか思っていない場合もあります。

 「イジメ自殺」などでイジメが事件化したときに、学校側が加害者の少年たちに事情聴取を行いますが、少年たちのほぼ全員が「イジメたおぼえはない」と語り、学校サイドは「イジメの事実はなかった」と発表する。こうしたことが繰り返されています。

 マスコミや多くの人たちは、「加害者の少年たちが嘘をついている」と考えるでしょうが、私はそうは思いません。イジメの加害者は、「私は、この人をイジメいる」と、イジメを明確に認識していることは少ないのです。あくまでも、「おもしろ半分」や「からかい」であり、場合によっては「遊び」としか認識していません。

 ですからに、イジメの加害者は、実際はひどいことをしているのに、全く罪悪感も持ちません。ですから、「被害者が傷つく行為を何の罪悪感も持たないまま平気で続ける」ことが可能なわけです。ですから、「あなたはイジメをしましたか?」と質問しても「してません」とイジメ加害者は答えるのは、「嘘」ではなく「全くの本音」だとも言えます。

 このイジメの加害者には、「加害者意識がない」「当事者意識がない」というのが、イジメの根を深くし、解決困難にしている理由でもあるでしょう。イジメ加害者としての当事者意識を全く持っていないとするならば、イジメ実態調査も困難ですし、実態が分からなければ対策も立てられません。イジメ対策をする、イジメを防ぎづらくしている原因でもあります。

 当事者意識がない、というのがイジメ加害者の重要な心理です。


■ ヒーローたちは、イジメの加害者だった

 カツマタ君のことを覚えていない。思い出せない・・・というのは、ケンジ以外のオッチョやヨシツネたちもおそらくは、カツマタ君を透明人間として扱い、「無視」するというイジメの片棒ほを担いでいたことを暗に意味します。 
 「20世紀少年」の中で、ヒーロー、あるいは救世主的に描かれていたケンジやオッチョこそが、イジメの当事者であり、「ともだち」をつくりあげた元凶だったという。こちらの方が、「ともだち」の正体よりも、はるかに意外性がある事実です。
 
 正義と悪の逆転。加害者と被害者の逆転。

 「ともだち」の暴力、弾圧の犠牲者であった、ケンヂたち。彼らは、被害者のつもりが、実は加害者でした。

 要するに、誰もが「加害者になるかもしれない」という危険性を示すとともに、「あなたも加害者ではありませんか?」という指摘につながて、はじめて「ドキリ」とするラストになるのです。

 ともだちの正体は、「お面の少年」。

 「お面の少年」は、私たちの周りにもいるのです。
 昔いたかもしれないし、ひょっとすと、「今」も私たちの周りいるかもしれない。

 私たちは、無意識に誰かを傷つけているかも知れないのです。
 
 あなたは、大丈夫ですか?
 誰かを傷つけていませんか?

 「ともだち」の正体は、カツマタ君という特定の1人の人物ではなく、「お面の少年」というどこにでもいるかもしれない「「20世紀少年」解読一人の人間」と解釈することで、「20世紀少年」の深いテーマが見えてくるのです。
 「20世紀少年」解読は、まだまだ続きます。
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