東京駅近くの高層ビルを建築中の、ある大手不動産会社の経営者がこんな言葉を残しています。

「突拍子もない『妄想』でもそこに大義があれば仲間が集まって『構想』になり、勇気があれば『実現』される」(月刊テーミス2026年3月号「三井不動産ー東京大開発へ挑戦進む」より)

 

大手町の北の端に日本一高いビルが建とうとしていますが、これをはじめとして同社は都内各地で大規模開発を進めています。

すぐ近くの日本橋川を活用して舟運を発達させ、豊洲や築地などと結び、新たな流通も計画しています。

その昔、徳川家康が張り巡らせた運河を活用し、先祖である呉服屋「越後屋」のDNAを活かして新たな町の活性化を狙っているわけです。

 

妄想というと「突拍子もない非現実的なアイディア」とバカにされがちですが、人が妄想を抱くのは現状に何らかの不満があるからであって、「こうなったらいいのにな」「こんなものがあったら便利で楽しいのに」などと現実世界にないものをほしがるところから妄想は生まれます。

つまり、現実世界の中に何らかのヒントがあって、それを基礎に何かできないか、ある部分をうまく活用すればより優れたものができるのではないか、それを考えるのが妄想の核心です。

例えば、空飛ぶクルマなどと言うと一昔前なら笑われたものですが、昨年の大阪関西万博で実験的に走行(飛行?)したのを見ても分かるとおり、その気になれば誰かがやってくれ実現するものなのです。

交通渋滞を避けて素早く移動するためにこういった交通機関はこれから現実味を帯びてくるでしょう。

 

「妄」という字には、よばいごととか寝ぼけたことなどという良くない意味やニュアンスがありますが、人は誰でも現実の苦しみから時には逃れて非現実的な想像を巡らせることで精神のバランスを取っている面があります。

それほど実は現実に向き合うのはつらく苦しいことなのです。

だから時には突拍子もないことを考えて現実逃避をすると、心が安まりまた明日から現実に向き合って生きていくだけのエネルギー充電ができるわけです。

 

また突拍子もないことを考えたりするのは自分の持つリソースの発見にも役立ちます。

普段現実世界で生きている私たちの実像は極めて小さい像です。

現実に縛られ、行動範囲や考える領域などを限定され、その中で妥当な答えを導き出すのが主な仕事ですから、そこで発揮される能力も自ずと限られてくる。

しかし妄想の世界ではそうした限定は一切ありませんから、いくらでも想像することが許されている。

そこで思いつくことは現実世界の制約を受けませんから、思いついたことが無意識下から引き出されてきて顕在化し、そこで思わぬ自分の能力に気づくこともある。

それが自分のリソースの発見の契機になったりするわけです。

 

妄想もなく失敗を恐れて安全な橋ばかり渡るのも悪くはありませんが、それでは人生面白くないのではないでしょうか?

時に妄想がとてつもないアイデアを生み出すこともあり、人は夢を抱いて妄想するからこそそれまでの人知では思いつかなかったような発見や発明を成し遂げてきたのです。

 

妄想が、今まで人類が悶々として悩んできた問題を解決するのに思わぬ役に立つ可能性も大いにあるでしょう。

妄想が一人一人のリソースの発見に役立つと同時に、人類の集合知に思わぬ発見と発展をもたらす可能性も大いにあり、三井不動産のような大胆なプロジェクトもこうした妄想が生んだたまものでしょう。

たとえ世間がどんなに笑おうとも妄想をやめず、リソースの飽くなき追求に邁進することが人類の発展に役立つことを忘れてはいけないと思います。