統合失調症にかかり、それまで好きだったゴッホの絵を見ても美しいと思えなくなり、また美しいと思える自分になりたいと模索している人をテレビで紹介していました(Eテレ「toi-toi」令和8年6月18日放送)。

 

統合失調症とはいえ、主な症状は幻聴がよく聞こえることだけだそうで、人とのやりとりは極めてしっかりしている人です。

昔好きだった絵をまた好きになれる自分になりたいという願望を持つこと自体、素晴らしいことですし、統合失調症によって自分という存在がある意味分裂したことが、そうした思考を生んだといってもいいかもしれません。

 

ご本人も「自分の好きなところはどこか」「自分を好きか」といった問いを、町へ出ていろいろな人に投げかけて問答をしていますので、「自分を好きになるとはどういうことか」という問いに立脚して昔の自分にもどる、あるいは取り戻すことを企図しているようです。

 

おそらくこの思考ルートで行くと、自分のことが好きだから自分のしていることも肯定できる、嫌いだから否定したい、という方向に走っていくように思われます。

 

ただ、好きであっても嫌いであっても今の自分という「現実」からは逃れようがないわけで、無理にそういう自分を認めろとまでは言いませんが、仕方なくつき合っていくしかないという割り切りは必要なように思います。

統合失調症をわずらっているので現実と思考や感情が分裂することがあり、自分を時に突き放して割り切りを要求するのは難しいかもしれません。

ただ、せめて正常あるいは正常に近い思考ができているときに、そういう見方をすることを練習してみるとあるいは効果があるかも知れないように思います。

 

ご本人も自分を「取り戻す」とまでは名言していないので昔の自分に戻りたいのかどうなのか定かではありません。

しかし私が強調しておきたいのは、たとえ昔の自分を取り戻したように思えても、それはもはや昔の自分ではなく、「昔」を経て病的な状態を過ぎ、新しい自分になっていることに気づいてほしいと思います。

外形上は昔に戻ったように思えますが、戻った自分は内面ではそれまでに経験していないことを経験した上で自分というものを再構築していますので、完全に昔の自分に逆戻りした、ということは理論的には考えにくいです。

むしろ生まれ変わって昔のような自分に「変身した」といった方がより現実には近いように思います。

 

同じような体験や失敗をしても、置かれた環境は既に昔とは違っています。

自分は常に新しい体験をしているのだ、と思って一つ一つの現実にしっかり向き合う、その方が自分に対して誠実に丁寧に接しているように思われ、自己分裂を防ぐのにも有用ではないか、そんな風に思っています。