緊急事態宣言が徐々に解除され、残るは北海道と首都圏の1都3県だけになりました。
よそはうらやましいなあ、などとイライラの募る人もいるでしょう。
「なんで自分はこんな所に住んでるんだ」とか「こんな所に生まれ育ったのか」などと自分を責めている人もいるかもしれません。
ちなみに私は神奈川県の南東部あたりでずっと生まれ育っていますので、こういう状況になっても「まあ予想通りだよな」と特に誰を責めるでもなく、淡々と暮らしています。
イライラが募るとき、その原因はいろいろあるにせよ、原因が自分の外にある場合、自分の内部には問題はないと思っていることが多くないでしょうか?
ですが、その原因に振り回されて自分を見失っているとか、自分の受け止め方にも実は問題がある、といった視点があると、イライラの程度が変わったり、時になくなったりすることもあるのです。
イライラしているときは、自分の予想や希望に反してことが進まなくなっていることが多いです。
「こうなるはずだ」「こうなるべきだ」という想定が先にあるので、そこに何らかの障碍が加わってその想定が崩れたときに、その障碍によって自分自身を否定されたような気持ちになります。
実はその「想定」はそもそも自分自身が作り出したものであって、それが元でイライラも形成されているのです。
では、その「想定」はそもそも間違っていたのか?
想定した時点で自分が最善あるいは少なくとも次善と思って下した判断ですから、「間違い」ではないでしょう。
そして、そこに加わった障碍は「想定外」のものであって、自分自身が責めを負うべきものではありません。
だからイライラするのも自然なことで、これまた責められるべきことでもありません。
どちらの「自分自身」も間違っていないのです。
こんな時、こういう自分がいやになる、といって自己否定や反省をしがちですが、実はそれが更に自分を苦しめることになります。
責められるべきでない自分を責めているからです。
自分で自分を敵に回しているのと同じなのです。
発想をガラッと変えましょう。
想定時の自分もイライラしている自分も、等しく「同じ自分なのだ」と。
どちらの自分もありのままの姿です。
いい悪いの評価を横に措き、自分の生の姿を「そのまま認識」することです。
そうすると「こういうこともあればああいうこともある、どちらも間違いなくありのままの自分自身だ」と思えてくるはずです。
自分自身の「多面性」が見えてきませんか?
自分自身にはいろいろな顔があると。
そう思えた瞬間、自分が自分自身を一段高いところから「観察」しているのが分かってくるはずです。
これを「バルコニーに上がる」という言い方をします。
バルコニーから眺めた様々な自分は、「あれも自分」「これも自分」です。
自分以外の何者でもない。
さて、現状でイライラしているとして、これからどうしたいですか?
イライラを解消するために何をしますか?
目標が決まらないと同じところでただイライラを続け、うろたえるばかりです。
現状を打開するためにやりたいことを決めましょう。
決まればそのためにどういう手段を執ったらいいかも見えてきます。
そのために自分でできることを探しましょう。
でき切れないなら助けを求めることも考えましょう。
誰に何をどう頼むか、それも考える必要があります。
自分の望みや特性を分かってくれる人を味方につけましょう。
そのとき、自分の中のどういう特性が活かされるか、自分で分析しておくと話がより早く進みます。
どの段階でも、自分のありようを否定しないで下さい。
自分で自分を敵に回したらそこから先へは進めなくなります。
どんな自分も常に「自分自身」です。
そんな「自分自身」を否定することなく、バルコニーから様々な自分を「統率」「マネージメント」することで、自分を味方にし続け、イライラを解消し、この難局を乗り切ってほしいものです。