昨日は小学生の子どもたち4人を相手に約30年ぶりに将棋を差しました。
私の将棋はいわゆるへぼ将棋、攻め方はワンパターンで、プロの棋士のように何十手も先を読んで差すなどということはしません(正確には「できません」)。
将棋には色々「定石」という決まった型の攻め方守り方があるのも知っていますが、そもそも「型にはまる」のが嫌いな私は、昔からそういうものを覚えようと思ったことが一度もありません。「無手勝流」「その場対応」だけでやってきました。
子どもたちがどのくらいの強さなのか、最初は分からなかったので、普通に差していましたが、飛車や角などの飛び駒の筋を一列読み間違えて違う升に駒を置いたり、私が自陣の防御のために駒を置くだけで、攻め駒を元の位置に引っ込めたりと、私の予想に反する局面が見られたので、これはかなり初心者だなと分かりました。
私もへぼ将棋とは言え、やはり勝ちたいので、それなりに本気を出して差しました。自分の子ども時代に負けるとものすごく悔しい思いをしたのを覚えているので、子どもたちにも「圧勝」して自分の子ども時代と同じ思いはさせない方がいいだろうと思って、多少手間と時間をかけて詰むように工夫はしたつもりでしたが、やはり「将棋」というゲームは人を本気で勝ちに行かせる魔力があるのか、自分がちょっとでも攻められると反射的にスイッチが入ってしまい、たちまち攻撃的な人間に変わるのがよく分かりました😁
その結果、8番すべて勝ち😱
傍目には大人げなく映るかもしれません。

ただ、差していて一つ気になったことがあります。
それは、子どもたちが負けてもあまり悔しそうに見えなかったことです。本格的に将棋を差している子は、悔しさのあまり泣きわめく子もいると聞いていますので、昨日私が対局した子どもたちが口では「悔しい」とはいうものの、心底悔しがっているように見えず、半ば諦め気味に負けを認めてしまっているようにすら思えました。もう少し感情表現が派手なくらいでもいいのでは?と思い、彼ら彼女らの先行きを心配してしまいました。
実は差している最中でも、貴重な持ち駒を簡単に私に取らせてしまい、私が思わず「え、いいの?」と聞いてしまう場面が何度かありました。それでも子どもたちは「うん、いいや」と実に淡白です。私も含め昔の子どもなら咄嗟に「待った」をかけたのですが(もちろんそんなのは反則です)・・・。
一度くらいは勝ちたいと思って子どもの方から「もう一度!」と申し出るのではなく、私の方から「もう一度やる?」「一度はおじさんに勝とうよ」と促してもう一番始まるくらいです。
もう少し感情表現を豊かにして欲しい、勝つことに貪欲になって欲しい、子どもたちにはこの2つを密かに望みました。

もちろん、千駄ヶ谷の将棋会館などに通っている子どもたちは全然違うと思いますが、「ゲームなのだから」と始めから達観したような姿勢を見せられるとこちらも拍子抜けしますし、同じ子どもがオンラインゲームでああいう姿勢を見せるだろうかと想像した時に、燃えるはずだよなと私は思います(私はオンラインゲームを全くしないので実情は分かりませんが)。

久しぶりに将棋を差して、子どもたちの将来に少なからず不安を抱きました。