愛媛県今治市に住むある女性は、「遠位型ミオパシー」という
全身の筋力が低下する難病にかかっており、現在ベッドにほぼ寝たきりだそうです。
介護してくれるのは同居の夫と、すぐ近くに住む実母。
ところがこの実母の介護の仕方がすこぶる雑で、
それでいて全然悪びれるところがないそうです。
これが他人や介護会社だったら契約解除や損害賠償モノですが、
親子のやりとりを見聞きしていると
涙が出るほど笑ってしまいます。
体をタオルで拭くときは墓石のようにごしごしこすり、
ご本人が「痛い」というと
母は「大丈夫。私は痛くないから」
前髪をストレートに整えて欲しいといったら
勝手に七三に分けてしまったのに、
「顔には変わりないやん」
タオルで頭を拭かれて「痛い痛い」というと
「痛くない。痛いと思うけん痛いんよ」
足をもんで「痛い」というと
「痛いと思わなければ痛くない。痛いのは神経が通っとる証拠」
お母さん自身は
「気をつけてるつもり」
「元気な頃の娘のイメージがあるので」と言っていますが、
娘さんは「元気でもあんな拭き方されたら痛い」といって
笑っています。
介護は本来被介護者の立場に立って介護するものです。
お母さんもその「つもり」で娘さんの面倒を見ているようですが、
娘さんは感覚的には「乱暴に」扱われているにもかかわらず、
笑って受け入れています。
娘さん曰く「本来なら自分が年老いた親を介護するはずなのに、
逆になってしまい、しわくちゃな手で面倒見てくれても『愛』だと思う。
でも『雑だな』と思う」。
娘さんには、一生懸命やってくれているのだから我慢しよう、という感情もあるでしょうが、
それを上回る、お母さんの無神経さと屈託のない笑顔が娘に笑いを呼び起こし、
皮膚で感じる生の「痛さ」と、「申し訳ない」という気持ちを和らげているのでしょう。
お母さんは明らかにおおらか(過ぎる)人ですが、
お母さんの「雑さ」を受け入れられる娘さんも
実はおおらかな一面があるのだろうと思います。
ではご主人はどうか。
ある日の食事は麻婆豆腐でした。
レトルトパックに入った麻婆豆腐のタレをフライパンに広げ、
そこに木綿豆腐を入れますが、
豆腐がげんこつ大のブロックのまま。
へらでかき混ぜれば崩れるからいいや、と思っているようです。
ご本人がガスの火の音で強火で調理しているのが解り、
火を弱くするよう伝えたらご主人は
「なるようになるけん」
「そん時はそん時さ」
「食べれば一緒」
甘口がいいので焼き肉のタレを入れるよう初めに言っておいたのに、
ご主人はうっかり入れ忘れ、
「存在自体忘れとったわ」
介護している人は2人とも「雑」ですw。
でも、2人とも愛情を込めて介護していることは間違いなく、
方法が「雑」なだけ。
日々漫才のようなやりとりをしている
親子・夫婦関係が、被介護者の苦痛を和らげ、
介護者の介護作業のつらさを和らげています。
どんな状況下でも「なるようになる」
「自分(介護する人)は大丈夫」という楽観が
進行する一方の難病を、実際の進行以上に
軽く見せています。
おおらかな3人が日々介護に向き合う姿は、
微笑ましくもあり、ある意味感動的とも言えます。
この先お母さんはいつかは衰え、
娘の体や頭をこするあの雑さがなくなり、
娘さんが「痛い」と言わなくなったとき、
今度は娘さんがお母さんの心配をするようになるでしょう。
今の「雑さ」「痛さ」が懐かしく思われるときが来るかもしれません。
ご主人もある日突然と言うこともあるかもしれません。
ご本人も感覚が麻痺して「痛さ」を感じなくなる日が来るかもしれません。
「雑な扱い」「痛み」は普通はつらいですが、
この家族からこれらが失われた時、
真の「つらさ」が訪れるのかもしれません。
番組を見ながら私は爆笑し、
見終わってこの家族の行く末をふと考えたとき、
普通はつらいはずの「肉体的な痛み」が、
家族3人を接着している不思議さと、
痛みの背後にある「しょうがないなあ」という
おおらかさを支えている、その事実に
肉体的感覚と、それとは裏腹の感情が織りなす、
家族の絆のあり方に思いをはせ、
人は受け止め方次第でいろいろな生き方ができるものだな、
と今までにない感動を覚えました。
(NHKハート展「雑さの裏にある愛情」より)
