世界的に人気を博したDJアヴィーチーが、現地時間の20日、

28歳の若さでなくなりました。

今のところ死因は解っていません。

 

2013年に「WAKE ME UP」が大ヒットし、

EDM(エレクトリック・ダンス・ミュージック)ブームの

先駆け的存在ともなったアヴィーチー。

 

現在ではカルヴィン・ハリス、ゼッド、アフロジャック、

デヴィッド・ゲッタなど、数々のDJが

著名な歌手とコラボして次々とヒット曲を飛ばしていますが、

やはり嚆矢はアヴィーチーでしょう。

 

彼は2012年から拷問のようなツアースケジュールをこなし、

2014年には年間収入が30億円にも達したそうです。

彼自身の生きがいは「音楽を作ること」そのものだそうで、

自分はそのために生まれてきたとまで思っていたそうです。

 

実際、世界中をツアーで回り、成功で得たチャンスや

安心感には感謝していたそうですが、

「アーティストとしての人生が大きくなりすぎて、

人間としての人生がほんの少しになってしまった」

ことに困惑を覚え、2016年にツアーから撤退し、

以後はスタジオでの作曲に専念するようになりました。

ツアーの成功が人間としての自分を見失わせる結果となり、

「成功するために成功を求めている」ようで

「幸せを感じられなくなった」のはあまりにも皮肉で、

成功と賞賛の嵐のまっただ中にいながら、

途方もない空虚感を覚えていたのかもしれません。

 

彼の成功に続いて相次いで成功を収めた他のDJたちが、

名の通った歌手をフィーチャリングして(「フューチャリング」と発音する人がいますが

英語の誤読です)自分の名でヒットを収める、今のようなやり方には

どうやら辟易していたようです。

近年のEDMのヒットは金がすべて、金が目的のように彼には見えたそうです。

つまり、そういうDJたちと自分は一緒にされたくない、

という思いがあったのでしょう。

自分が広めたかったEDMというジャンルが世界的に認知されたのはいいが、

自分が望む方向とは違う方に行ってしまい、

嚆矢となった自分に責任の一端があるように感じたのかもしれません。

 

自分の理想とした音楽家像から外れ、等身大の自分でない自分が

世界的に認知されてしまったこと、

彼を尊敬し、彼を追ってあとから成功を収めた同業者たちが、

自分の理想像とは違う方向へEDMの世界を引っ張って行ってしまったことに

彼は後悔と絶望を感じたのかもしれません。

 

彼の空虚感の中には、彼自身の成功故に彼自身の人間としての生き方が

狭まってしまったことへの寂しさと、

音楽界が彼の真意を誤解したことへのむなしさという、

2つがあったように私は解釈しています。

 

EDMは私も好きで、現在ヒット曲を飛ばしているDJの曲でも

好きな曲はいくらでもあります。

ただ、1リスナーとして、そういうヒット曲を享受する、その仕方を

彼の死によって根本から問われたような気がして、

私はショックでした。

 

ツアースケジュールに追いまくられ、

自分が何者なのかをいつのまにか見失い、

我に返ったときにむなしさを覚えるといった体験談は、

アバやカーペンターズなどの例もあり、

決して新しい問題ではありません。

 

また、音楽に限らず、アートと呼ばれるものすべてにおいて

同じような悩みを持つ人は古今東西少なからず居るようです。

人間の感性の持つ無限の力と、

表現者自身の心をむしばむ魔力は表裏一体なのかもしれません。

 

でも、精神のバランスを保とうとしてどこかで止めてしまうと、

アートは輝きを失い、芸術家としての生命は

そこで終わる危険があります。

逆に輝きを追い求め続けると、

どこかで精神がバランスを失い、

人間らしさがいつの間にか亡くなってしまう危険もあります。

 

だから「ほどほど」がいい、というのが解決策や答えには

決してなり得ないところが、アートの世界の難しさです。

 

人間として生きていく以上、アートを突き詰めることと、

人間らしく生きることのバランスというのは、永遠のテーマかもしれません。