衝撃的な事実 | Kabaのひなたぼっこ

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フラと美味しいものとお昼寝をこよなく愛するKabaの
つれづれ日記・・・
トリプルネガティブだけど、ポジティブに「闘う女」進行中!

※2年前に書いたブログですが再度アップしますm(_  _)m

 

今年は「戦後70年」という節目の年のせいか、

戦争に関する話題を耳にすることが多い。

 

そんな中で母から聞いた、衝撃的な事実をひとつ・・・

 

広島市出身の母。

 

戦後生まれなので戦争について母の口から聞くことはないが、

広島に原爆が落ちた時、一家で疎開していたから被ばくせずに

すんだという話は、今は亡き祖母から私も聞いたことがある。

 

ちなみに疎開先は、広島市内から北に、

 

今なら車で30分ほどのところにあった祖母の実家だったそうだ。

 

今月始め、お墓参りのために広島を訪れて、

 

伯母の家にしばらく滞在していた母。

8月6日の平和記念式典の模様をテレビで見ていたところ、

伯母が原爆に関する話をしてくれたらしい。

 

1945年8月6日の朝、外に出ていた伯母たちは、

 

地面が大きく揺れたので急いで防空壕に逃げ込んだ。

「ピカ」っという光は見ていないが、

大きな大きなきのこ雲が空を覆っていた光景は記憶にあるとのこと。

 

実は、疎開したのは8月5日。原爆が投下される前日だったそうだ。

 

しかも、移動したのが夜。

この話は、母も初めて聞いたらしい。

 

伯母たち一家は当時、広島市の中心部、

 

原爆が投下された場所のすぐ近くに住んでいた。

だから、そのまま市内に残っていれば、

一家全員亡くなっていた可能性が高い。

 

・・・ということは、母は産まれてこない。

 

・・・ということは、私も当然産まれてこない。

自分がこの世に存在していることが、

ものすごく特別なものに感じた。

 

あのタイミングで移動することを決断したのは、誰だったんだろう?

 

祖父だったのかしら?

もっと前ではなく、なぜ「前日」だったんだろう?

 

戦争のこと、原爆のこと・・・ 

 

祖父や祖母から、もっと聞いておけばよかったな。

 

せっかく広島に親戚がいるんだから、

 

伯母から直接、話を聞いておかないといけないね。

 

Peace on Earth.

 

 

戦争のない、平和な世界になりますように・・・