私が子供の頃、少女雑誌の付録といえば
レターセットやビニール製のポーチなどだった。
音声の出る付録もついた事があった。
ソノシートである。
丸いだけではなく、ハート型に型抜きしてあるものなど、
工夫を凝らしたシートは、形も音も魅力的で、
ドキドキしながら聴いたものであった。
当時の付録は「もったいないから」としまい込まれ行方不明になったものだが、
片付けのときなどに出てきて 手を止めさせる。

最近はそういった付録事情も一変しているようだ。
娘はここ1年近く、ちゃおという雑誌を買っている。
ついてくる付録は、本誌とどちらが付録かわからない状態である。
口紅やマニキュア、アクセサリーの類が目白押しなのである。
わざわざショップで購入しなくても、420円で本を1冊買えば
たいていのモノがそろってしまう有様である。

今回、私が初めて目にしたのが CDである。
いわゆるソノシートの現代版なのだろうか。
74分をフルに使い、キャラクターや作者が語りかけるのは
今も昔も変わらないようだが。
以前タバコについてのコメントを書いた。
喫煙者の減少や、禁煙場所の増加、
喫煙についてのマナーも ささやかれ続けていた。
その小さな小さな声に、やっとJTも重い腰を上げたようだ。

11月下旬から、順次タバコのパッケージに新しく文言が盛り込まれることとなった。
決められた文言は8種類。
どの言葉が一番喫煙者の心を打ち、手にしたタバコを見つめるようになるだろうか。
私には どれもさほどのインパクトは感じられないのだが…

上の写真は その一部である。
いかにもと言った感じの文章は、消費者の目に止まるのだろうか。

このリンクは、世界のタバコのパッケージである。
これでタバコを「絶対吸いたい」と手に取る未成年は少ないのではないだろうか。
効果は一目瞭然である。

なぜJTや政府はここまでのことをしないのか。
タバコの売り上げや、納められる税金を考えれば
これが精一杯なのだろう。
日本という国は、国民の健康より収益を優先していると言っても過言ではない。
今月下旬からアメリカで、鳥のさえずりや猛獣の唸り声など、
約40種類の動物の鳴き声を 携帯電話の着信音にするサービスが提供される。
>「(携帯電話から)動物の着信音が流れると、ささやかな自然がテクノロジーの中に吹き込まれるような感じがする」とウッディング氏。「電話から自然の音が流れるようになれば、これまでのように人を驚かせることもなくなる。周囲の雰囲気に溶け込む感じで、環境とうまく調和する」
という観点からだそうだが、既に昨年からイギリスで
同種のサービスは始まっていて、かなり好評なようだ。

さらに
>動物たちにも利益の分け前を差し出すことを約束している。各企業の売り上げの10%が「作曲料」として、環境団体や自然保護グループに寄付される。イギリスでこれら自然の着信音を販売している携帯電話会社、英オレンジ社は、動物たちへの配当を世界動物保護協会に寄付した。米国での着信音の価格はまだ設定されていないが、イギリスでは2.5ポンド(約490円)で販売されている
というのは かなり嬉しい話でなはいか。

動物たちへの恩恵もあり、街中は自然の音に包まれる。
ギスギスした都会の空気も 少し和んではこないだろうか。
女性の美しさへの飽くなき探究心は、
いったいいつから芽生えたものなのだろうか。

>古代ローマ人の化粧クリームと思われるものが入った2世紀半ばごろのブリキ缶が、ロンドンで見つかった。クリームは、現代の化粧品にも劣らない質の高さだという。
缶の中には、羊か牛のものと思われる動物性の脂肪とでんぷん、酸化スズを混ぜ合わせたクリームが入っていたそうだ。

当時のローマでは美白が流行していたそうなので、
このクリームもそういった効果が期待されたに違いない。

かのクレオパトラは紀元前の世を生きた女性だったが、
もしこのクリームが200年早く出回っていたならば
ローマで手にとってみただろうか。
エジプトに帰国した後も 取り寄せたのだろうか。
同じ24歳である。
こんなに注目され、名前を覚えられた24歳も少なかろう。
どちらも自由を、自分の運命を信じて世界に羽ばたいて行った。

それなのに、である。
二人の運命は、天と地であった。
同じ年に、同じ日本に生まれついた二人は
いったいどこが違っていたのだろう。


賞賛と軽蔑 どちらも他者からのまなざしである。

賞賛の言葉をかける事は簡単である。
しかし 賞賛に値する結果を出すまでに至る彼の努力を
人々はどこまで知っているのだろうか。

軽蔑の言葉をかける事も簡単である。
しかし 彼が本当はどんな思いで彼の地を訪れたのかを
人々はどこまで知っているのだろうか。

結果はあくまで結果である。
そこへ至るプロセスを 真の意味で理解していれば
どちらも簡単に 評価できるものではない。

同じ24歳である。
重さも価値も、命の意味も 同じはずである。
今日は地区の運動会があった。
自治会主催で、小学校で行われるものだが
年齢に関係なく出場できるし、種目ごとに景品が出るので
小学校の運動会より ある意味白熱する。


今年は私の所属する自治会は 連絡・報告を怠り
選手の公募にあてる時間がほとんど取れなかった。
そのため、出場者が例年になく少なくなってしまったのだ。
もちろん競技は通常通り行われるので
少ない出場者でこなしていかなければいけなかったのだ。

私もほとんど1つ置きに出場種目があり、
席にいられることは まずなかった。

子供たちも然り。
出場選手はその場で子供を集めて 出られるかを確認しながら。
学年別のリレーは、各学年に子供がみつからず、
2年~4年までを全部2年生で走る、ということも起こってしまった。

最終的には8チーム中4位という歯切れの悪い結果となってしまったが
みな、笑顔で帰ることができたのは幸いだろう。

でも 明日の筋肉痛を思うと ・・・( ̄  ̄;) うーん
現在東京国際フォーラムで開催されているのが
人体の不思議展 である。
ホルマリン漬けでもなく、骨格標本でもない
プラストミック標本という製法で作られているモノである。

以前名古屋で開催されたとき(一昨年の事だったと思うが)
娘を連れて行ってきた。
あまりにリアルな標本に、却って作り物みたいに見えてきたものだが…
娘が真剣に見入り、目を離すことがなかったのが
胎児の標本だった。
月齢ごとに並べられた胎児は、死産のものか中絶されたものかはわからないが
今にも動き出しそうで、決して動かず
永遠の眠りについていた。
それがとても悲しかったのだそうだ。

そんな日本では大盛況の不思議展だが、
なんとアメリカでは今年初めて開催されたのだそうだ。
遺体におけるエンバーミングで
遺体に処理を施すのが一般的なアメリカだが、不思議展に関しては
意外なほど批判が多いらしい。

>展示に使われている死体そのものに関する問題がある。フォン・ハーゲンス博士は一切の不正行為を否定しているが、ロシアから違法に死体を入手したという噂がつきまとっているのだ。フォン・ハーゲンス博士によると、展示している死体はすべて――妊娠8ヵ月で死亡し、胎児がお腹にいる状態が見えるようなかたちで展示されている女性(写真)でさえ――本人が生前に医学研究のための献体に同意した人のものだという

一見して作り物のように見えるその標本は日本人にはあまりになじみが薄く、そのせいであまり「気味悪いもの」という認識がないのだろうか。
それとも生命・身体に関する尊厳を日本人がなくしてしまっているのか。
考えさせられる一件でもある。

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私の住む団地は 治安が悪かった。
車上狙いは毎日のように起こり、実際私の軽乗用車も被害にあっている。
私の友人は 3度の車上狙いにあい、
3度目は助手席のシートが車外に放り出されていた。

エレベーターでは、若い女性が見知らぬ男性に
カッターナイフを突きつけられ、
「騒いだら刺す」 などと言われ

同じくエレベーターで中の籠がずれ、今年2月、
私の娘が1時間半も缶詰になった。

自治会費の横領も横行している。
何年かに一度は数百万円単位の横領が行われていたのだ。
しかも犯人は 今もこの団地に暮らしている。

夜中に警察沙汰になるような事件もあり
夏になると走り屋の出発点となる。

しかしながら、私はこの団地内に住む人たちは大好きだし、
これからもここに住み続けるに違いない。

やばいかな…(; ̄ー ̄)...ン?
私は とある県営の団地に住んでいる。
7階建てで、エレベーターを中心に、両翼に8件ずつの部屋が連なっている。
私はその4階にすんでいるのだが 今日とんでもない話を聞いた。

なんでも数件隣の、片翼の真ん中に住んでいる家でその事件は起きたのだそうだ。
その家のベランダに、なんと人糞がしてあったのだそうだ。
始めにその話を聞いたとき、一瞬わが家の猫が
ベランダ伝いにお邪魔して 1本置いてきたのかと疑ったが、
タオルか雑巾で包んであったそうなので 人が絡んでいるのは間違いない。

以前にも他の棟で同じような事件があったが
エレベーターホールのすぐ脇であり、2階のベランダだったそうなので
なんとなく納得もいったのだが
今回は上下左右どこからも真ん中の部屋である。
上から降りて行ったのか下から上って行ったのか。
それともベランダを伝って行ったのか… 謎は深まるばかりである。

そこで心配なのは、うちにも入ってくる可能性があるということだ。
夏場はカメが自由に出入りするため、サッシの鍵はかけていない。
窓さえ開けたままということもある。
これからの時期、そういったことはなくなるはずだが、
やはり防犯対策はしっかり考えなければ…と反省させられた。
昨日の日曜日、雨が降ったので予定が延期になってしまった。
特別する事もなかったので 娘と映画に行く事にした。
タイトルは 1リットルの涙 
14歳で脊髄小脳変性症という難病に侵された女性の半生を描いた映画である。
すでにモデルの女性が亡くなって16年が経とうとしているが、
今だ治療法が見つかっていない病気でもある。

2年生の娘には少し内容的に難しいかとも思ったが、
彼女なりに真剣に向き合っていたようだった。

家に帰るとすぐ机に向かった娘は、学校の宿題の絵日記にとりかかっていた。
出来上がった絵日記は、たった今見てきた映画の話。
描きながらすすり上げていた鼻水は、
決して風邪気味だったわけではなく、映画を思い出しての事だったようだ。
いつもより しっかりした書体の文章のあちこちに
涙染みを作っていたのだから。

「可哀相」確かにそうかもしれない。
でも、彼女は病気でもいつも前向きでひたむきで。
一生懸命生きていたはず。短かったけれど充実した日々を。
後悔しない人生を歩き続けていたのではないだろうか。
「もっと生きていたい」
彼女の切なる願いは ついに志半ばにして終いえてしまったが
彼女の思いは 今も生き続けているはずだ。