今日はお母さんの誕生日です
お母さんがいなくなってからのはじめての誕生日です
いつもなら嬉しいはずの誕生日なのに、今年はすごく迎えたくなかったです
わたしの誕生日ももうすぐで、いつも合同でお祝いしていました。
日づけが変わると毎年おめでとうと言っていました
お母さんは年をとりたくないって、笑っていました。お母さんの言葉とおり年をとらなくなったけれど、私は嬉しくないし一緒に年を重ねて行きたかった、これからもずっと2人でそれからにゃんずと生きていたくてそれだけで幸せだったのに、今はただ辛いだけで誕生日なんて消えてしまえば良いのにって思っていました、こんなになにも感じない、ただ悲しいと辛いと絶望だけでむかえるお母さんの誕生日は初めてです
一昨年はお母さんが大好きなブランドの財布を二週間遅れで買いました
今年はあげないよって言いつつも、やっぱりなにかあげたくて、歩いてお店まで行って財布を買ったんです
帰りに私が苦手なケーキを買って、歩きだったので少し崩れてしまったけど
去年は、フォトフレームとデジカメケースをプレゼントして
去年の今日の記事をみてもらえるとお母さんが記事にしてくれています
去年の今頃はわたしは笑うことができなくて、まったく笑うことができなくて
お母さんにプレゼントを渡した時にお母さんが泣きながらプレゼントよりなによりもお姉ちゃんが笑ってくれたことが嬉しいって言ってくれました
笑うことはごく普通のことなのに、その普通のことがわたしは出来なくて、笑っただけで、泣くほど嬉しいんだって。大阪からの帰りの電車なのにお母さんはすごく泣いてすごく嬉しいって言ってくれて、ああ、笑わないとって笑うことでこんなに喜んでくれるんだって思ったけど、逆にすごく申しわけなくて、笑えなくてごめんなさいって思いました
やっと心から笑えるようになってきていたのにまた笑うことが出来なくて、お母さんになんて言えばいいかわからないです
本当なら笑ってお母さんの誕生日を迎えたかったのに
今年は、お母さんに、年明けにあった、スターズオンアイスのチケットをプレゼントしました
前から四番目でものすごく近くてお母さんすごく喜んでくれて、生の真央ちゃんや羽入くんに大ちゃんにあっこちゃん、海外のスケーターを観せてあげれました
その4日後にお母さんがいなくなるなんて思っていないから四大陸の時はものすごくしんどくて、どうして真央ちゃんのアクセスをお母さんを見せてあげれなかったんだろうと思いました
あまりにもショックで、悲しくて、お父さんにしばらくメールしたくないっていうくらいでした
そのことで、お父さんにそんなんじゃこれからやっていけないって怒られて、わたしはダメなのかなって思いました、今でも思っています
ことあるごとにそんなんじゃ駄目って言わしてしまって、わたしは出来なくて駄目な人間だって思っています
本当ならスターズオンアイスのことをお母さんの手から口からみなさんに記事を見てもらうはずだったのにどうしてわたしなんだろうって思っています
本当は1人で今日は過ごしたい、ただただお母さんのそばにいたくて
お母さんはなぜいないんだろうって、どうしてそばにいないんだろうって、隣でいてるはずのお母さんがなぜいてないのかなって
すっぱり学校を辞めていらたら、ただ精神的な事の負担を減らすことだけに集中して、諦める強さがあったら、お母さんはいまもまだとなりで笑って居たのかなって
お母さんの誕生日を2人でむかえる事ができたのかなって
考えれば考えるだけ、どうして、って、でもわからなくて、わからない
わたしにはわからないって、
精神安定剤よりもなによりもこころが安定したのはお母さんがそばに居てくれる事で、お母さんがわらってくれるだけでわたしはそれでよくて
お母さんは私のことを、
とても生きづらい子で可哀想な子
と言っていました、そのことを知った時はやっぱり動揺隠せなかったし、お母さんにそんな事を思わせてしまっていたんだって思うと悲しかった
だから、わたしは少しずつで良いから自分のペースで、それがお父さんやほかの人からしたらもどかしくあまりよく思わないペースなのかもしれないけれど、少しずつ社会で生きやすい子に、普通の人のように外にでれてテレビをみれて普通の人のように声が出る事がなによりもお母さんへのプレゼントなのかなって思っています。
それがお母さんへの最大のプレゼントかなって思っています
だから学校の復学も凄く最近迷っていて、最初は気が高ぶっていて復学って思っていたけど、本当にそれで良いのかなって諦める強さもあっても良いのかなって、思っています
人からみたらそれは逃げている事になるのかなって思うし、私も逃げることだと思っていました。でも諦める強さもお母さんは必要だって、諦める事も時には必要だよって
だから焦ると駄目になってしまうことがわかるし、今はゆっくり、ゆっくり生きやすい人間になることに頑張ったほうが良いのかなって思っています
少しずつ、外に慣れていく事が良いのかなって思っています
私はただお母さんに認めてもらえるために頑張ってました。でもそれが結果マイナスに繋がって精神的にボロボロになってしまって、喋れなくなって、外に出る事が出来なくて、外に出て気絶して救急車も呼ばれたし、倒れてしまったし、酷い時はお母さんに触れなくなってしまっていました。お母さんに触れるようにはなったけど、喋れないし外の風景を見ることも出来なくて、去年の六月からカーテンをずっと閉めっぱなしでお母さんをとても縛りつけてしまいました、だからこれらのことを出来るように少しずつで良いから自分のペースで克服していくのがお母さんへのプレゼントなのかなって思っています、それしか思いつかなくてお母さんにごめんなさいっていっぱいです
お母さんがいないのが辛くて、辛くて仕方なくて、苦しくて、お母さんがこれから隣にいないことを考えると恐くて恐くて仕方なくて、どうしたらいいかわからないけれど、私は私なりに普通の事を出来るようになることがプレゼントだって、プレゼントなのかなっておもいます
ごめんなさいって言葉もお母さんに使わないでいいようになるようにしたいです
お母さんが大好きでお母さんが大好きで、もうわからないけれど、ただ今はお母さんに大好きだってずっと大切だって心で思います