10年近い闘病、

2015・07・25  15時27分

夫の息が止まった。

昏睡状態が続いていたので分かっていたはずなのに・・・

「お父さん逝かないでよ」と、泣いていた私です。

夫の身体を楽にする、これが結果です。

お医者の死亡確認が終わり、看護師さんが次々と来ます。

泣いている娘を抱き寄せる看護師さん・私ら家族と同じように泣く看護師さん、、、。担当でリーダーのYさん夜勤でした。なのに急いで来てくださって、、号泣してます。どのくらいか時間が過ぎエンゼルケアを行います、看護師さんの計らいで「皆でお父さんをキレイにしましょう」と、私と娘二人も加えて夫の支度をしました。

夫・私と娘に万全の看護をしてもらったこと、感謝でいっぱいです。看護師さんから「私達は看取りは慣れています、でも看護師全員が応援した患者さんは経験がありません。こんなに努力する患者さん、寄り添うご家族、、勉強させてもらいました」泣きながら言ってます。何よりの褒め言葉のようで嬉しかったです。もう別の涙も出てとにかくぐちゃぐちゃでした。

 

生前夫が決めていた葬儀業者にお願いして早々にお迎えにきて事務的に準備が始まり流されているしかなかった。夫の亡骸はセレモニーホールにお願いしたのです。「父さん、ごめんね」です。

真夏なのもありましたが、私と娘はゆっくり横になりたかったのと、在宅医療から慌てて入院になり家はごちゃごちゃで片すチカラはありませんでした。。セレモで打ち合わせを終え暗くなるころ家に帰ると私の友達が玄関で待っていてくれました。胸が熱くなりながら葬儀の手伝いをお願いして、私はすっかり喪主になっていました。近所に居る夫の友人は夫に頼まれていたようで連絡係をしてくれこのOさんにはお世話になってしまいました。

夫・私、共にここが地元ではなく親戚は皆遠くです。近くの他人の暖かさを感じここの地域で良かったと思います。

 

葬儀のことはまた次にします。

 

 

ブログを通じてお友達になり応援していましたクローバーさんの旦那様がお亡くなりになり心よりご冥福をお祈りいたします。

 

夫の闘病記を忘れていた訳ではなく、この部分を綴るのは心が苦しくなっていました。クローバーさんに背中を押されたようです。

 

 

ミタゾラムを投与して もう目覚めることはない、直ぐに落ちる、今夜がヤマである、、、聞きたくない言葉ばかりです。でも夫は一度だけ起きました。(一人で起きられない夫は起き上がりたい時は手を伸ばし側に居る私や娘が引っ張っていました。)深く眠った夫が手を伸ばし次女が夫の手を握ると起きてベッドから降りようとするので「お父さん、どうしたの?大丈夫?」声を掛けると、横に戻り「痛いな・・・」と、いいました。まだ痛みに苦しんでいます。看護師さんが来てミタゾラムとモルヒネを追加、「痛いな」これが最後の声でした。

数ヶ月ゆっくり眠ることが出来なかった夫が気持ちよさそうに寝ています。2時間に一回は向きを変え痰で苦しい時は吸引してもらい、ストマーの交換、念のため付けたオムツには粘液が出て交換してもらいます。娘二人私、家族4人で過ごしました。緊張の中にも女三人でのお喋りは賑やかにもなりました。「ねえっ、お父さん」と夫も耳は参加しています。

3人で順番にご飯やお風呂を済ませました。救世病院では個室でも付き添いは一人でしたが、万が一に皆で居られるよう師長さんの計らいで家族揃って病院に泊まらせてもらいました。

 

2015・07・25

この日は血圧がどんどん下がり、おしっこの量が激減してました。

素人ながらいつもと違うのを感じながらも、友達に預かってもらっている愛犬の話題で穏やかに笑って「ね、お父さん・・・」夫の顔を見ると呼吸が長くなってます。慌ててナースコールを、看護師さんが急いで来ましたが夫は息を吸ったまま戻しません。心肺蘇生は望んでいなく医師が来る前に私は夫に縋り泣いていました。勿論娘達も。医師の確認時間15時27分、夫は天国に逝きました。

 

まだ少し続きがあります、次回にします。

夫の身体の苦痛は増すばかりです。

フェントステープを止めて点滴のモルヒネになりました。それでも痛みがあるとアンペックの座薬を行います。効き目はその時次第です。フラッシュと言ったでしょうか、点滴のモルヒネを10㎜一気に流します。これは痛みが緩和されます。落ち着くと夫といつものように話が出来ました。でも夫は話をしてる途中で眠ってしまいます。私はもっともっと話がしたいのに。起きるのが待ち遠しいのです。これは私の独りよがりでした。夫の状態は生かされているのです。身体は限界なんです。目覚めた夫に「お父さん大丈夫?痛くない?」と聞くと、首を下げ困惑した顔で「お母さん頼んだじゃない、、お母さんもういいんだよ、終わりにしてくれ、今でいいんだよ、、もうオレのこの身体を楽にしてくれ」。衝撃的でありました。夫が夫が、、生きることを終わりにしたがっているのです。思いもよらない夫の言葉に「分かった、先生に言ってみるね。お父さんずっと頑張り続けたもんね、すごいよ」と、夫に答えました。今までも夫に「お父さんどうしたらそんなに頑張れるの?」と、何度か聞いたことがありました。夫は「そんなに言われるほどオレは頑張ってないんだよ」これがお決まりの返事でした。今回は違います、、、

「お母さん、オレ頑張っただろ、よくやっただろ」と、言うのです。

胸が苦しい、でも夫を褒めたかった。「私の夫はすごいです。」と、一言が精一杯でした。

夫には申し訳ないのですが、S先生や看護師さんに夫を楽にするお願いはその時点では言えませんでした。看護師さんからは点滴に眠る薬を入れて夫を楽にする提案があったのです。楽にするのは呼吸を抑制することであって、私は受け入れることが出来ませんでした。

入院して5日目、7月21日、

痛みは相変わらずです、フラッシュを繰り返します。お昼少し前、夫の状態が良いのです。ほとんどベッドで過ごしていたのに、「歩けるかな?少し歩いてみるかな」私と長女で両脇について夫は立ち上がると点滴台につかまり一人で歩きます。驚くことに病室の外をきょろきょろ見て廊下の先にある椅子の所まで行きました。ここは入院中いつも夫とお茶をした所です。しばらく三人で座ってお喋りしました。看護師さんは驚いていました。調子がいいなら車椅子で外に行ってみたらと勧めてくれました。夫も行く気満々です。

病室に戻ると歯磨きとヒゲ剃りをしてました。

看護師さんが報告したのでしょうか、主治医S先生が来てお喋りをしてくれました。洗面所から夫の手をとり一緒にベッドまで寄り添ってくださりました。夫は益々上機嫌です。

私は夫は本気でお散歩にでるつもりでした。今考えると最後のチカラだったのかもしれません。お散歩は、、、出来ませんでした。

無知な私は夫の様子に喜んでいました。(ホント馬鹿です)

2時間過ぎたころ、夫が痛みを訴えフラッシュモルヒネを追加します、でも今回は治まりません。フラッシュを3回続けてもダメです。主治医のS先生に夫は「先生、オレは15痛いです」。いつも痛みを10で表現するのです。それが15なんです。S先生は私を廊下に連れ出し「私はこんなに頑張る患者さんは初めてです。15痛いは言わしてはいけません。奥さんもう旦那さん楽にしましょう。」今まで拒んでいた私は「先生どうかお願いします、夫を助けて下さい。」無心でお願いしました。ミタゾラムと言う薬を投与します。「旦那さんの状態からして薬が身体に回ったら直ぐに落ちます」もうどうしようもない。ただ次女が大学から戻ってからにしてもらいました。

夫には眠る薬を追加すると伝えました。

私と娘二人はそれぞれで夫と話をしました。痛みがマックスであったので「お父さん、出会えて良かった」夫、「オレも」。私はそれだけで子供と変わります。子供達はどんな話だったかは其々が心の中です。

夜7時過ぎ、物々しくミタゾラムの点滴が用意され行われた。私と娘はただただ見つめているしかなかったです。日が変わった頃、夫が手を伸ばし次女が握ると夫は起き上がりました。直ぐに亡くなる薬なのに、、、「お父さんどうしたの?」声を掛けるとまた歩こうとしてます。無意識でも「痛い」と言うのです悲し選択でも納得出来ました

。看護師さんはミタゾラムの量を増やしモルヒネ追加しました。私と娘二人は夫を見守り続けます。

 

あと少し、次回に続きます。