夫を喪う、こんな悲しいお別れがあるなんて。

時間薬の効き目、ほんの一寸なのです。

時間と共に夫が居ないことが現実で、二度と一緒に生活をすることがない、と、分かってしまったのは苦しいく、日常茶飯事 感じているのではないのですが、方程式なく「父さん、居ないんだ」とスイッチが入ると闇の中で、答えのない疑問に襲われます。

ウチは何処?どうしてウチなの?等々・・・。

私は目分量で大雑把な食事の支度が得意です。

「美味しいな・美味しいな」と、言ってくれるのが嬉しくて用意していました。美味しくない時は決まって「面白い味だね・・」と、言います。「あ、食べなくていいですよ(`×´)」。本気で怒っていました。

こんないつもがなくなる、面白い味と言われてもいいから戻りたい。旦那さん悲しむよ・成仏出来ない・旦那さんオリヒメさん精一杯やったわよ・・・色々な励ましの言葉をもらいます。でもそういうことではなく、夫を仏様扱いは出来ないです。ここに居て欲しいだけです。51歳の未亡人はそんなに稀ではありませ、でも周りに同じ経験者はいません。まだ、ご両親が揃っている方が多い時代です。

いつからでしたか、悲しい・寂しい・夫への思いは封印しました。

すっかり乗り越えて元気なオリヒメさんと認識されています。

同情や変な励ましより気楽です。親しい友達には時々心の内を見せてしまいます、ほんの少しだけ。職場では喋らないでいれば済むのに、私より年上の女性が旦那様との昨日あったことを報告されるのは堪えます。この苦痛も黙っています。

夫ですもの、簡単ではないです。このやりきれない気持ちを一人で抱えられる器量は私にはありませ。限界を感じ不得意のパソコンで、、夫病死・苦しい・生き方・・・で、検索すると、グリーフケアという言葉が出てきました。私の気持ちそのもので、どんどん辿ってみると、伴侶死別の遺族会がありました(ボランティア団体)。

藁をも掴む気持ちで、訪ねてみることにしました。

今までの自分にはなっかた行動でかなり緊張をしました。

 

 

 

※娘二人は自分のやるべきことに進んでいまして、私を理解してもらえず「お母さんが悲しそうなのが辛い」と、言うのです。お父さんが亡くなったことではなく、私の姿が辛いって言われても、、、。

「亡くなったのは私の夫だよ、私のお父さんではないの」と素直に伝えると、長女は「そうだね、そうだよね、、」と、同じ家族でも其々であるのは当然で、言葉で理解し合うのがお互いに必要だったようです。

 

グリーフケア、、、次回に続きます。

 

2015・7・25 夫は私と二人の娘に看取られ逝ってしまいました。

 

27日、通夜、、28日、告別式でした。

夫が望んだ「生涯現役」 

癌の闘病10年、入院と静養で仕事を休んだのは有給休暇の範囲であって自分の理想を現実にした。病気に甘えることなくチカラいっぱい生きた。手前みそであっても、私の自慢の夫であります。

病気に理解をしてくださった会社には本当に感謝でいっぱいです。

 

葬儀でとても冷静な私がいました。

今でもあまり覚えていなくて葬儀屋さんの言われた通りに動いていただけでした。

長女は来てくださった方に挨拶をして、次女も一緒に一人一人に

頭を下げてお礼を伝えていました。

私の友人が4人、手伝いをしてくれたのは言葉にならないほど有り難かった、彼女達のお陰で無事に葬儀が行うことができました。

夫の身内は40年近く前に舅の葬儀以来の葬儀で、正に近くの他人に助けられています。

300人以上の方に見送られ夫は私の元からいなくなってしまいました。

 

痛みや苦しみを取らなくちゃ、葬儀をやらなくちゃ・・・

私に起きている現実だったのです。

 

夫が死んでしまった、嫌だ!嘘!どうしよう!

この先は私の喪失感・寂しさ・悲しみ・僻み等々、

語りたいと思います。

次回に続きます

 

 

3年前の今ごろです、夫の身体が重篤になり始めたのです。

抗がん剤治療をしながらも健常者と変わらず仕事をして、癌は夫の特徴であって私達家族は普通に暮らしていました。

昨日はいつもと何も変わらないのに、、、

発熱してインフルエンザかと思ったら敗血症であった。

急になったのではなく抗がん剤や身体に残った癌が蝕んでいたのでしょう。

病気が進行していても、手術や薬で夫は生還していたので

何をしても今までのように回復しない、これは夫にも私にも恐怖でありました。

 

暖かくなり春の匂いがするとこの恐怖を思い出します。

日本の男はサクラが好きで、夫も勿論サクラが大好きでした。

当時で夫と出会って約三十年、、お花見をしないことはなかった。

頻繁な入院で2015年はお花見は出来なく、退院の日に満開のサクラを車から見て「今年はこれで我慢してね」と済ませたのは失敗で、私は未だにサクラを見るのが苦しいのです。しょんぼりした夫、せめて公園に寄るくらいすればよかった。来年が来ないなんて考えてなかったのです。「ごめんね、父さん」

 

2018・3・8

次女が大学を卒業しました。

最後の卒業式です。夫にもし心残りがあるなら次女の大学卒業を見届けなかったことでしょう。夫の写真をバッグから出しました、きっと一緒に参列していたはずです。

オタクで地味な女の子のままですが、私を支えてくれます。

長女・次女、、子供達は前に進んでいます。時間の止まった私はのんびり自然にまかせるしかないようです。