夫の身体の苦痛は増すばかりです。

フェントステープを止めて点滴のモルヒネになりました。それでも痛みがあるとアンペックの座薬を行います。効き目はその時次第です。フラッシュと言ったでしょうか、点滴のモルヒネを10㎜一気に流します。これは痛みが緩和されます。落ち着くと夫といつものように話が出来ました。でも夫は話をしてる途中で眠ってしまいます。私はもっともっと話がしたいのに。起きるのが待ち遠しいのです。これは私の独りよがりでした。夫の状態は生かされているのです。身体は限界なんです。目覚めた夫に「お父さん大丈夫?痛くない?」と聞くと、首を下げ困惑した顔で「お母さん頼んだじゃない、、お母さんもういいんだよ、終わりにしてくれ、今でいいんだよ、、もうオレのこの身体を楽にしてくれ」。衝撃的でありました。夫が夫が、、生きることを終わりにしたがっているのです。思いもよらない夫の言葉に「分かった、先生に言ってみるね。お父さんずっと頑張り続けたもんね、すごいよ」と、夫に答えました。今までも夫に「お父さんどうしたらそんなに頑張れるの?」と、何度か聞いたことがありました。夫は「そんなに言われるほどオレは頑張ってないんだよ」これがお決まりの返事でした。今回は違います、、、

「お母さん、オレ頑張っただろ、よくやっただろ」と、言うのです。

胸が苦しい、でも夫を褒めたかった。「私の夫はすごいです。」と、一言が精一杯でした。

夫には申し訳ないのですが、S先生や看護師さんに夫を楽にするお願いはその時点では言えませんでした。看護師さんからは点滴に眠る薬を入れて夫を楽にする提案があったのです。楽にするのは呼吸を抑制することであって、私は受け入れることが出来ませんでした。

入院して5日目、7月21日、

痛みは相変わらずです、フラッシュを繰り返します。お昼少し前、夫の状態が良いのです。ほとんどベッドで過ごしていたのに、「歩けるかな?少し歩いてみるかな」私と長女で両脇について夫は立ち上がると点滴台につかまり一人で歩きます。驚くことに病室の外をきょろきょろ見て廊下の先にある椅子の所まで行きました。ここは入院中いつも夫とお茶をした所です。しばらく三人で座ってお喋りしました。看護師さんは驚いていました。調子がいいなら車椅子で外に行ってみたらと勧めてくれました。夫も行く気満々です。

病室に戻ると歯磨きとヒゲ剃りをしてました。

看護師さんが報告したのでしょうか、主治医S先生が来てお喋りをしてくれました。洗面所から夫の手をとり一緒にベッドまで寄り添ってくださりました。夫は益々上機嫌です。

私は夫は本気でお散歩にでるつもりでした。今考えると最後のチカラだったのかもしれません。お散歩は、、、出来ませんでした。

無知な私は夫の様子に喜んでいました。(ホント馬鹿です)

2時間過ぎたころ、夫が痛みを訴えフラッシュモルヒネを追加します、でも今回は治まりません。フラッシュを3回続けてもダメです。主治医のS先生に夫は「先生、オレは15痛いです」。いつも痛みを10で表現するのです。それが15なんです。S先生は私を廊下に連れ出し「私はこんなに頑張る患者さんは初めてです。15痛いは言わしてはいけません。奥さんもう旦那さん楽にしましょう。」今まで拒んでいた私は「先生どうかお願いします、夫を助けて下さい。」無心でお願いしました。ミタゾラムと言う薬を投与します。「旦那さんの状態からして薬が身体に回ったら直ぐに落ちます」もうどうしようもない。ただ次女が大学から戻ってからにしてもらいました。

夫には眠る薬を追加すると伝えました。

私と娘二人はそれぞれで夫と話をしました。痛みがマックスであったので「お父さん、出会えて良かった」夫、「オレも」。私はそれだけで子供と変わります。子供達はどんな話だったかは其々が心の中です。

夜7時過ぎ、物々しくミタゾラムの点滴が用意され行われた。私と娘はただただ見つめているしかなかったです。日が変わった頃、夫が手を伸ばし次女が握ると夫は起き上がりました。直ぐに亡くなる薬なのに、、、「お父さんどうしたの?」声を掛けるとまた歩こうとしてます。無意識でも「痛い」と言うのです悲し選択でも納得出来ました

。看護師さんはミタゾラムの量を増やしモルヒネ追加しました。私と娘二人は夫を見守り続けます。

 

あと少し、次回に続きます。