7・25、三回目の旅立日でした。

年一度この日は自分だけの為に仕事を休むことにしてます。

22日、私の兄が夫のお参りに来たので25日 当日のお墓参りは行きませんでした。(仕事が休みの日は日が昇る前にお墓まで

ウォーキングをするので・・・朝のご挨拶は済ませました)

今年は法要がないので気ぜわしくなく過ごし方を考え、、

夫と毎年通った東京のお寺に一人で行くことにしました。

変わっていませんが外国かと感じる程に外国の方々で賑わい、

お陰で寂しく思もわず極暑のせいもあり早々に帰りました。

やはり一人の行動はまだ上手に過ごせないです。

夫が一緒なら入りたいお店もあるのに、お参りするのが精一杯でした。

夫は「くだらないだろ・・・」と、バカにするので、おみくじを引くことがなかったのです。30年振りでおみくじを引いてみました。

歳替えもなくドキドキしました。

‘吉”です。

・行く先に喜び事有、安らかな気持ちとなる。

・目上の人の助けを得てチカラを得る。

・前を明るく照らすように地位や収入も思いのままに。

素晴らしいお言葉を信じるには心が病んでしまってます。

心に落ちた言葉が、

・今までの願いをほどいて、別の願いを望むとよい。

私の願い事は「夫とあいたい」なのです。

「もうわかっているでしょ、」夫に言われているようでした。

寂しい・哀しい感情ではなく、泣けた。

夫の身体が悪化して怖かった時「お父さん、私一人は嫌だよ」

言葉にしてしまった。私以上に夫は不安だったのに不甲斐ない妻でした。夫はいつもの口調で「どうなるかなオレ、でもなお母さん・・・一人でも強く生きろよ、強くな。」そう言ったのです。

再度、この言葉を肝に命じました。逞しく生きています、と、言うには自信がない。

亡くなった時間は毎年病院で空を見上げてます。

今年は行かないつもりでしたが”おみくじ”に押され、

夫にとって戦場であった病院に行き禁煙をこの日は解禁して

喫煙所で煙を上げ私が居る合図をしてみた。お世話になったお医者さん看護師さんにご挨拶に夫は来ている、義理堅い男ですから。今年も夫の気配はありませんがそれでもいいです。

ここに来て逢えるようで・・・やっぱり涙は出ます。

こんな過ごし方しか出来ませんが、命日も大切な記念日に思えてます。

 

 

 

 

 

来週25日は夫の命日です。

夏の空気を感じると心がざわざわします。今年は夏が早くて、

答えのない疑問をボーっとして考えては・・・ため息です。

どんなに思っても居ない、聞きたいことがあるのに・・・。

夫が一緒でないと・・・心の底がつまらないと感じてしまいます。

キレイな景色に感動します、その後に「父さんと見たかったな」と、

夫が出てきてしまいます。これが辛いです。

いつまで続くのでしょう。

それでも今はキレイな景色に感動する所まで気持ちは進んでいるのです。急ぐことはないのですが、「父さんキレイな景色よ」と言えるようになりたです。

 

去年は三回忌でした、一周忌で悲しんでくださった方がもう夫の死を乗り越える様子に私の哀しみが大きくなってしまいました。

逆の立場ならよくあることなんですね。

夫が忘れられてしまうのが耐え難かったです。私が忘れなければよいことを・・・その時は考えられなかったです。

夫の亡くなった直後に行ったグリーフケア分かち合いの会を訪ねてみました。当初はここでも自分の居場所が分からなく少し寂しい気持ちになったこともありました。時間が過ぎたせいか居心地が良いのを感じ、ダメ元で支援プログラムを受講することにしました。(2017・10~)8名のメンバーで始まりました。

娘達にも簡単に説明すると「可哀想な未亡人の会?いいんじゃない」と、笑っていました。酷い(>_<)

最初は緊張がありましたが、言葉を選ばず、自分の苦しい胸中を言ってよいのです。悲観的になっていいのです。経験のない方には傷の舐め合いかもしれないです。でもここには経験者しかいません、肯定されたり共感してもらえます、、、お互いに。

人見知りがちですが勇気をもって参加して良かったです。

 

夫や妻を亡くした者に世間の風は時々強風になります。

分かってもらえる人の言葉はチカラになります、心よりありがとうございます!

 

 

 

 

 

 

 

 

夫の闘病記を仕上げ、後は私の寂しさや哀しみ・・・

こちらは果てしなく続きそうで少しずつ書いてみようと思います。

 

夫が逝って3年が経ち、長女25歳・次女22歳になりました。

次女がこの春より社会人となり、子育ては一段落です。

夫が亡くなった時、子供達の存在は本当に有り難かったです。

自分の23歳ごろ、会社勤めをしながら自営業であった親の手伝いを嫌々していました。夫と出会ったのもこの頃でした。

親の心配など考えることはなくのんびりしていたと思います。

ウチの娘達は父親である夫の身体を労りお父さんに優しかったです。父を亡くし悲しい経験をしながらも逞しく生きています。

お母さん(私)が可哀想だから・・・と、思われないお母さんでいるのが理想です。夫とは子供の選択肢が多くなることをよく語りました。子供優先の人でしたから少しでも私が受け継がなくては!

長女は昨年春に一人暮らしを始め、

次女は地元企業なので自宅にいます、

二人が心身ともに健康であるだけで満足しています。

※私に優しくしてくれてます(^.^)

私を含め三人其々に自立しながら助け合える関係でいたいです。

 

去年だったかな、TVで旦那様が癌になり奥様と一緒にあちこちの病院に行き納得のいく治療を探す番組をサラッと見ていました。

長女からラインがきまして同じ番組を見ていたのです。

‘お父さんとお母さんみたいで泣いちゃったよ’と、言うのです。

えっ、二人三脚で闘うご夫婦が夫と私?

意識をしたことはなかったのですが、子供にお手本になる夫婦であったのなら、夫が迎えに来たら今すぐでも逝っても心残りはありません。長女はそれっきりで本心は不明です。

調子に乗り過ぎでした。