久しぶりにアメーバブログにログインしたら、壱成さんが”コトダマ。”というタイトルでブログをお書きになっていたので、これまた久しぶりにアメーバブログを書きます。
壱成さんのブログには、「言った言葉が現実になることが多い。それは、ポジティブな言葉もネガティブな言葉も関係なく、そうなるから、どうせならポジティブな言葉を使って、どんどんいい未来を作っていこう。ただ、ネガティブな言葉、具体的には人の悪口を言う人も多くて、どうしてもそういう人と関わらないわけにはいかない。相槌を打たないわけにもいかないから、「そうですね」なんて言って、話を聞いてるんだけど、それはしんどい。それに、話を聞いていると、「その人にももしかしたらこういう事情があったのでは」なんて言いたくなって、それを言ってしまうと、相手の人を怒らせることになってしまうから、難しい。自分としてはどっちの味方をしたいというわけではなくて、悪口を言っている雰囲気が嫌なだけだから、困る。人のことはともかく、自分はポジティブな言葉を使っていきたい。ありがとうという言葉はいい言葉だ。ありがとうは、サンスクリット語に由来する言葉でその言葉自体にすごいパワーがある言葉だから、発するだけでいいことがある」なんてことが書かれてありました。
壱成さんがブログでおっしゃっていたお話は、ここ12、3年のあいだに世の中に浸透してきた考え方のような気がします。
世の中のことをしっかり把握しているわけでもないので、もしかしたら、そこまで浸透しているわけではないのかもしれませんが、私個人としては、そういったことをすごく感じるし、そういったお話をして下さる方とのいくつかの縁があります。
その縁というのは、私がテレビを見ていて、この方のお話をもっと聞きたいな、という一方通行の縁もあれば、私が道を歩いていて、ちょっとした拍子でお話する機会があった方との縁もあります。
前者の例で言うと、やっぱり美輪明宏さんの存在はすごく大きいと思います。
壱成さんもご出演なさったオーラの泉を始めとしたテレビ番組や美輪明宏さんの御本、美輪明宏さんと別の方との対談等で美輪明宏さんの哲学と言ったらいいのか、人生観のようなものに触れると、気づくことがたくさんありますし、勉強になります。
美輪明宏さんがこういったお話でよくおっしゃっていたのは、「そうですか」と言って流しなさい、ということだったように思います。
”「そうですね」と言うと、引きずられてしまうから、「そうですか」と言って、流しなさい。”
そうおっしゃっているのを何度か聞いたことがあります。
また、美輪明宏さんいわく、美輪明宏さんには今も昔もたくさんのボーイフレンドがいて、不自由したことはないそうですが、そのボーイフレンドの中に魅力のない人は一人もいないそうです。なぜかというと、魅力のない人は関係を絶ってしまうからだそうです。
と言っても、美輪明宏さんのおっしゃる魅力のある人ない人というのは、外見がかっこいいかどうかという意味ではなくて、中身が素敵かどうかという意味だそうです。
美輪明宏さんは、純粋な人がお好きなんだそうです。
私は、先ほど申し上げたオーラの泉を見ていたとき、美輪さんが壱成さんのことを「壱成ちゃん」と呼んでらっしゃったことが印象に残っています。
詳しい内容はよく覚えていませんが、壱成さんのことを「壱成ちゃん」と慈しむように呼ばれる美輪さんは、きっと壱成さんのことも魅力のある方と思われているのだろうと思いました。
今回のお話に繋がる話ですが、美輪さんは、いつも家の中をとにかく綺麗にするよう心掛けているそうです。
それは、まだお若かったころ、四畳半の部屋に住んでいたころもレコードがお売れになって、芝居が成功しなさって、大きな家に住むようになってからも変わらないそうです。
また、美輪さんは、辛いことがあったときには、一度、感情というものを抜き去り、事実のみを抜き出し、そこからどうすればいいのかを考えるべきだと説いていらっしゃいます。
私も壱成さんと同じように人の悪口とかそういうのが苦手です。
霊的な力のある方いわく、それは「憑依体質」というものらしいです。相手に感情移入すること自体が憑依の一種なんだそうです。
憑依と聞くと、狐憑きとか降霊術とかそういう話を連想しがちで、そういう話になると、なかなか体験することは少なそうですが、相手に感情移入する、という身近にありそうなことが憑依そのものらしいのです。
そして、それで困るのは、憑依された結果、された人自身がマイナスなエネルギーを持ってしまって、マイナスなネガティブな行動をして、人生がそういった方向に進んでしまう、ということらしいです。
憑依されて、コントルール不可になって、なんてことになったら…ということらしいです。
だから、「そうですか」「そうですか」と言って、聞き流さないといけないらしいです。
(たしか、そんな話だったと思いますが、違っているかもしれません)
私は、正直、「そうですか」なんて言ったら、冷たいんじゃないか、かわいそうなんじゃないかと思います。
それだったら、「そうですね」と受け止めてあげた方がいいんじゃないかと思います。
でも、たぶん、それ自体が「感情移入する」ということで、「憑依そのもの」なんだろうな、と思います。
(これで解釈は合ってるんでしょうか)
私は、人が嫌な思いをしていたり、悲しんでいるのを見るのは嫌です。
それを何とか防ぎたいと思います。
でも、それをしようとしたがために、憑依されて振り回されて、その結果、自分をコントロールすることが出来なくなって、そのことが結果的に誰か、周りの人を苦しめるのなら、「そうですね」ではなく、「そうですか」を使う必要があるのではないか、と最近思うようになりました。
美輪さんがよくおっしゃる言葉の中に、「一升瓶には一升しか入らない」という言葉があります。この言葉通り、何でもほどほどがいいのかもしれません。
また、助けないことが助けになる、ということもあります。
自分の身に余ることはせずに自然の流れに身を任すこともときには必要なのかもしれません。
美輪さんの話で結構喋る力を使い果たしてしまったので、後者の街であった方のお話は、短めにします。
2015年の11月ぐらいのころ、たまたまお話した60代の女性お二人に「私もいろいろあってね。幸せだと思うようになったのは最近よ」と言われたのです。
それはまったく別の日にまったく別の接点のないお二人に言われました。
ただ、一つ共通点があったのは、どちらも私がとある不動産会社の不動産情報誌、もしくは、広告入りのティッシュを配っているときだった、ということでした。
当時、体調がすごく悪かったので、とてもではないけれど、フルタイムのお仕事が出来ず、かといって何もしないのもよくないだろうということで、1日1、2時間の勤務で済むアルバイトを探して、見つけたのがそのお仕事だったのです。
それを聞いた当時は、どこか希望のようなものを感じました。今は辛いかもしれないけれど、60代になったら幸せだと思えるようになるんだ、って。勇気みたいなものをもらいました。
当時、前述のとおり、体調がすごく悪かったので、それを見かねた方が私に話しかけて下さったんでしょう。
今も体調はあまりよくないけれど、おかげさまで死ぬこともなく、生きてこれました。
これも美輪さんのよくおっしゃる言葉ですが、「うだうだ言っているけれど、あなた生きてこれたんじゃない。今までだっていろいろあったけれど、生きてこれたんだから大したものよ」という言葉のとおり、私は、生きてこれたんです。それって、すごいことだと思います。
私は、何かの答えとか、そういうものをはっきりと出せるほど、長く生きてはいないような気がしますが、とにかくここまで生きてこれたんです。それは、すごいことだと思うし、有り難いことなんだと思います。有り難し。有るのが難しい(?)。あるってことがすごいということ。
途中から疲れて乱文になってしまいましたが、私も壱成さんと同じようにこの言葉で締めてみようと思います。
ありがとう。