昔々の大衆演劇の記憶 | 紀州屋良五郎 ☆大衆演劇・上方芸能☆情報系ブログ

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まいど、おおきに




かなり昔、祖父に連れられて小屋に見に行った記憶が少しある。

当時、住んでいた大阪・住吉でもいくつかの小屋があり賑わっていた。


芝居が結構、長かったのを記憶している。

前狂言、切り狂言、ショーという構成で、芝居だけで三時間ぐらいはやっていた。


ショーが面白かった。カラオケがない時代であったのですべての音楽、音響処理はレコードだった。


ハリは飛ぶは、かけ間違いは多いはで中断が多く荒削りもいいとこだった。


さらには、劇団のメンバーが生でバンド演奏をして、歌い、踊るスタイルがほとんどで、ちょんまげの殿様がドラムを叩いている光景。それは、それは、なんともいえない大衆演劇的世界を構成していた。



今のショーとは全く趣が違い、あくまで芝居の後のおまけみたいなものであった。子どもも多く見に来ており、舞台に上がったりしていた。



今は、大衆演劇と云えば女性ファンが大半であるが、当時は男性の客も多く、家族連れもも多く見られた。ふと、思うのだが、女剣劇が流行した背景には、客層にファミリー層・男性が多かったからかもしれない。テレビのない時代-大衆的娯楽の極致が旅芝居だった。


照明も投光器に色のセロハンを貼り付け使っていた時代であった。



ただ、場内の熱気と高揚感・客席との一体感は今のどの劇団をもうわまっていたような気がするのはなぜだろう。殺陣がすさまじく、スリリングだった。座員も多く活気に満ちていた。




時代はめぐる。



芝居はいつの時代にあっても工夫を重ね、磨いてほしい。

桂枝雀師匠がはじめて英語落語に取り組んだように、講談の春野恵子さんが米国公演を成功させたように、沢竜二さんがブロードウエイでの公演を成功させたように。あくなき、挑戦をし続ける限り大衆演劇発展の可能性はある。



改革者は常に努力を惜しまない・良五郎





ごきげんよう、さようなら