昔、文藝春秋のオピニオン誌で「諸君!」という月刊誌があった。

 

当時は子育て中で経済的にも時間的にも苦しかったが、この雑誌の発売日が私にとって月に一度の何よりの楽しみだった。

10代の頃から中道右派の私にとって、まさに政治的スタンスが共感できるものだったからだ。

当時はどちらかといえば左翼的な人の方が、政治意識が高い人、知的な人のような雰囲気があったように思う。

そんな中で産経出版社の「正論」と共にこの「諸君!」は保守的なスタンスの人達に愛読されていた。

 

私が「正論」ではなく「諸君!」を愛読していたのは編集に柔軟な感じがしたからだ。

 

他の記事は殆ど覚えていないが、今も忘れられないくらい感銘を受けた記事がある。

共産党系の弁護士、法律の泰斗と言われていた(らしい、私は全然存じあげなかった)中島泰(ゆたか)先生が書かれた記事。

(何十年も前の事なので、名字が違っているかもしれない。お名前は変わった読みかただったのので合っていると思う)

 

裁判の事だったがその中で私が驚いたのが「裁かれるべきは検察官である」という言葉。

私はどう考えたって裁判で裁かれるのは、被告だろう。
やっぱり共産党は理解できないわ、と思った。

しかし全文読んでとても感銘を受けたのだ。

つまり未熟な人間が他の人間の罪を問うのだから、それだけ「万全な証拠」を示さなくてはならない。

という事なのだと思った。

故に「裁かれるべきは検察官」なんだ、と心の底から納得した。

 

それからもう一つ。

「疑わしきは被告人の利益に」という言葉。

真犯人を罰する事ができない事よりも、罪を犯していない人間を冤罪で罰する事の方がより重大な事だと。

これは「推定無罪」という事で、広く認識されていると思う。

 

だから今回の調査チームの見解には驚かざるを得ない。

仮にも検事総長だった人間が、「推定無罪」という裁判の大原則を全く無視しているのだから。

これは裁判ではないから、被害者の証言だけで良いという見解なのだろうか。

では今回の発表は裁判という法的根拠が無いのだから、事務所も世間も無視していいという事になる。

 

一体どういう「証拠」があって、ジャニーさんを加害者と決めつけているのだろうか。

ニュースを見る限り法的根拠に基づく証拠がある訳ではなくて、被害者と称する人たちの聞き取り調査をそのまま認めているようにしか思えない。

もし裁判なら被害者の証言は検事の反対尋問にさらされたうえで、矛盾が無ければ証拠として採用されるという事になるのではないか。

 

まあ、それが分かっているから誰一人告訴をしないし、特別チームも薦めないのだろう。

 

人を、故人で弁明すらできない人を被害者の証言だけで犯罪人と決めつける。

恐ろしい人達、恐ろしい日本になったものだ。

 

亡くなった父が「文藝春秋は戦前は左翼と言われていたが、戦後は保守と言われている」と言っていた。

以前は世情に左右されない、厳正中立の出版社だったのだろう。

 

でも「諸君!」の休刊前後から文藝春秋社は、変節してしまったように思う。

例え反対の立場の人達でも、言論を封ずることなく記事を掲載していた公平な良識ある会社ではなくなったのだ。

さぞかし菊池寛氏も池島信平氏も、そして共産党系でありながら私が感服した中島泰先生も呆れていらっしゃる事だろう。