「松島ぁ〜の、さぁよぉ〜瑞巌寺ぃほぉど〜の、寺もなぁ〜いとえ〜」って事で、二日目は予定通り日本三景の一つ「松島」を訪れました。ちなみに損なオヤジは幼少期に「天橋立」大学時代に「安芸の宮島」も行った事があるので、この日で日本三景コンプリートでございます
事前に盛男には「まあ綺麗っちゃぁ綺麗な景色だけど。。。」という前振りももらっていたので、それなりに写真を撮って、それなりに観光したって感じかな。いやでもなかなかの我ながらナイスショットじゃぁございませんか
ところで学生時代から、みんなでいる時も常に全体を俯瞰している感じで、余計な自己主張や要望などほとんどしない盛男が、今日に限って珍しくホテルを出発する際に「観光地を観る前に震災跡を見て行って欲しい」と提案をして来た。これまで大きな災害が起こった時に、何となく遠目に「お気の毒に」と言う感情は持つものの、募金なども含めて積極的に行動を起して来なかった事に、心の奥底でどこかしら罪悪感めいたものを抱いていた自分にとっては、思わぬ形でそれを解消する機会に恵まれたと思い「ぜひ」と即答していた。で盛男が案内してくれた被災地というのが、あの幼い子供達が大勢犠牲となった「大川小学校」であった。どこに行くとあえてなのか告げられずに現地に到着したので、そこが大川小学校と知った時は、自然と鳥肌が立つくらいの衝撃を受けた。
あの時津波は、海側とすぐそばを流れる北上川の双方から、一気に押し寄せたとの事。警報が伝えられてからの1時間弱の間での避難誘導の是非については、今なお裁判で争われているようだが、これまで経験のないまさかの事態に直面した時、果たして人は冷静に的確な判断が出来るのかどうか。。。当時早めに避難していればと言われた裏山の様子にも目をやると、校舎の屋上よりも明らかに高いと思われる位置に「津波到達点の立て札」が。
ただただ切なくてやり切れない思いが込み上げる。。。
盛男の計らいにより、あれから10年以上の月日が流れてしまってからではあるが、思いがけずこのように被災地の一つを訪問できた事を良かったと思う。自分が訪問したから言うわけではないし、見るべきとまでは言わないが、機会があれば誰もが見た方がいいのだと思う。そこで何を感じ考えるかは人それぞれだと思うし、そこからどんなアクションを起こすかが大事なのだとは思うが、まずは自分の目で見て、今更ではあるが少しでも被災地に寄り添う事から何かが始められるのではないだろうか。
帰り道、道路の横を流れる北上川は、晴れ渡る今日の日であっても普通に水面が高く危うく感じられたのは、気のせいだったのか? いろいろな意味で「現地」を見られた今回のみちのくひとり旅が、収穫の多いそして印象深い有意義な時間になった事に、幸せを感じる。