興味が全く向かわない先が同じ | かや

かや

かやです。



危機的な状況を一気に良い方向に立て直すこと、または滅びかかっているものを再び盛んにすることを四字漢語で「起死回生」と言う。
武部良明氏『四字漢語辞典』によれば、明の政治家で軍人で詩人の劉基(りゅうき)の有名な著書『郁離子(いくりし)』に「霊薬千名、神農のこころみる所、死を起こして生に回し、陰を旋(かへ)して陽をめぐらす」とある。死にそうな人を生き返らせる、という一文があり、中国語でも、医者について、起死回生の優れた技術を持ち、人に尊敬される、などと用いる。

それを日本では比喩的に扱い、再び盛んにする意味で用いる。と解説されている。

この郁離子は作者自身のことで、官界の腐敗ぶりを機知に富んだ文章で描き、この著は百八十編もの短編が収められた寓話集だ。



劉基は明の初代皇帝朱元璋(しゅげんしょう)に仕えて明を建国するに際して大きな功績を上げ、その後、明を安定させることに尽力した。宗濂(そうれん)と並んで当代随一の文筆家としても知られ、『郁離子』をはじめ著書が幾つもある。
中国では魔術師的な軍師として崇拝を受けていて、三国時代の諸葛亮と並び称され、明初を舞台とする小説、戯曲に登場することが多い。

また中国のノストラダムスとも言われている劉基は不穏な予言を幾つもしている。ノストラダムス同様、予言を叙情的に綴り、暗喩に満ちている。
洪武帝に献上した『焼餅歌』では一四四九年のモンゴル族による侵攻(土木の変)、日中戦争、孫文の出現、一九一一年中華民国の建国などを予言したと言われている。また陝西省の碑文には亥(いのしし)と子(ねずみ)の年に疫病が発生すると記され、干支ではここ何年か続いている感染症が蔓延し始めた二〇一九年は亥年、二〇二〇年は子年に相当する。また湖広が大難に見舞われることも予測していた。湖広には現在の湖北省が含まれ、省都は武漢だ。


ノストラダムスしかり劉基しかり、後年それらの著書のメタファーを根気強く読み解いた読み物は随分有るようだし話題にものぼるが、そのような話題自体頭上を素通りしてしまうし、読み物は読む気が起こらないし、全く興味を覚えない。

興味の矛先は人各々だ。どこに向かおうとそれは全く個人の自由だろう。
面白いなと思うのは、友人知人或いは親密となる彼たちに共通しているのは、興味の向かう先は皆全くバラバラだが、興味が一切向かわない先が共通している。
誰かと仲良くなったり、友人として或いは彼として付き合う全ての人々に共通するのは、興味の向かう先では無く、興味が全く向かわない先が同じだということだ。


saturday morning白湯が心地良く全身に巡り渡る。

本日も。ほどほど。