それまで考えを思い切って改め、あることを為し遂げようと決意する、また熱心に励むことを一念発起という。その言葉の響きからも強い意志を感じる。
この四字漢語は仏教に由来する。仏道に帰依し、悟りを得たいと固く願う。出典は歎異抄だ。
武部良明氏『四字漢語辞典』によれば、仏教で「念」は極めて短い時間(刹那の六十分の一)のことだ。信心を起こすのもある瞬間的な心の出来事と考え、これを一念という。発起というのは思い立つことで、ここでは悟りを求めようと決意することをいう。
正式には一念発起菩提心という仏教用語だが、それを略したのが一念発起だ。しかし、念に、思うという意味があることから、一般には、一念について、ひとたび・おもう、と解釈されていると解説にある。
類語に、一念発心、一心発起、感奮興起、緊褌(きんこん)一番などがある。
緊褌一番と言えば、小林多喜二の『党生活者』を思い出す。その文中に「決定的な闘争はむしろ明日の緊褌一番にあるので、それに対する準備を更に練った」と使われている。
多喜二の『蟹工船』を読んだのは中学三年だったか高校一年だったか、『防雪林』『不在地主』『工場細胞』『一九二八年三月十五日』『人を殺す犬』など幾つかの作品を読んだが、それらの作品と共に遺体を作家仲間たちが囲む有名な写真が今も記憶に強く残っている。
特高警察に捕まり治安維持法違反容疑で逮捕され、警視庁築地署で拷問を受け死亡し、そして遺体で戻った時の写真だ。
築地署の前を通過することがあるが、その度に、多喜二の遺体を囲む写真を想起する。
遺族、兄と弟は特高警察を告訴しようとしたことを小樽商科大学名誉教授で日本近現代史専門で多喜二研究者荻野富士夫氏が多喜二と関係のあった弁護士を取り調べた公判前の予審記録から見付けた。
告訴は実現しなかったが思想弾圧の厳しい時代に拷問死を巡り遺族が抵抗しようと試みたことが明るみに出た。弁護士は労働・農民運動家たちの法廷論争を支援した日本労農弁護士団の一員で、「調書写」には遺族から告訴を依頼されたかどうかを問われる記述があり「弟と兄から依頼され、資料を受け取り、別の弁護士に引き継いだ」とし「証拠薄弱のためにそのままになった」と答えていた。
多喜二は逮捕された一九三三年二月二十日当日に「心臓麻痺」で死亡したと発表されたが、自宅に戻された遺体を見た仲間や遺族や医師は両足などに暴行の痕を確認し、遺体写真や母セキの証言からも拷問死とされてきたが、弁護士団が告訴に向けて多喜二の遺体の解剖を三つの大学病院に依頼するがいづれも解剖されなかった。
荻野氏によれば、特高が告訴を拒むために病院側に弾圧をかけていたとみて「こうした記録は敗戦時、殆んどが焼却処分され、極めて重要な資料だ。遺族が告訴出来れば、同法運用に欠かせなかった暴力的取り調べに一定の歯止めがかかった可能性はある」と指摘している。
昨日移動の車で『四字漢語辞典』を眺め、一念発起から類語を幾つか思い浮かべる中、緊褌一番から多喜二の『党生活者』が記憶の底から浮上し、連鎖して遺体で戻った時の写真を想起した。
thursday morning白湯が心地良く全身に巡り渡る。
本日も。淡い。