雨は優しい | かや

かや

かやです。



ヴァイオリン、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの編成の弦楽四重奏を無性に聴きたくなったのは、パッヘルベルのカノンをピアノで弾いたからだ。
昨日、朝、ピアノの部屋で楽譜の棚から幾つかのアレンジされたパッヘルベルのカノンの中で比較的上級者向けと呼ばれているアレンジの楽譜を選んだ。
普段、殆んど思い浮かべもしないし、弾くことも聴くことも無いが、何故か不意に気持ちがこの曲に動いた。
選んだ楽譜は低弦楽器のチェロを思わせる静かな出だしから、次第に楽器が増えていくイメージで、最後は大聖堂で鐘が鳴っているような壮大さを持ってエンディングに向かう手応えのあるピアノアレンジだ。
暫く、曲と指と全身の感覚全てが馴染むまで何回か繰り返し、弾いて、同じこの曲を弦楽四重奏での演奏が聴きたくなった。
楽譜をもとの棚に戻し、ピアノの部屋を出て、別な部屋から庭を眺めると、相変わらず雨がしっかりと降っている。
建物や庭、住まいの敷地ごと、雨に包まれて、恰かも外界から遮断されたように強く感じるのは、実際、何もかもを振り払いのけるようにすすぎ流し、清浄極まる雨が特別なヴェールで敷地全体を包み守ってくれているからだ。
雨に身を任せているなどというささやかな感じでは無く、住まいごと雨に委ねているような感覚だ。
今日はこのままずっとこの雨に包まれた住まいで過ごそうと思った。


庭を眺めた部屋とはまた違う部屋に行き、まずパッヘルベルカノンを弦楽四重奏で聴いた。
住まいごと包むように降る雨はピアノよりもヴァイオリン、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの編成がしっくりと馴染む。
このままずっと雨に隔絶されたまま、弦楽四重奏の好きな曲ばかりを心行くまで聴いて過ごすことにした。

ベートーヴェンの「弦楽四重奏曲第13番変ロ長調Op.130」「弦楽四重奏曲第15番イ短調Op.132」、ハイドン「弦楽四重奏曲第77番ハ長調」、スメタナ「弦楽四重奏曲第1番ホ短調」、ラヴェル「弦楽四重奏曲ヘ長調」、モーツァルト「弦楽四重奏曲第14番ト長調K.389」、ドビュッシー「弦楽四重奏曲ト短調Op.10」、シューベルト「弦楽四重奏曲第14番ニ短調D810」、ショスタコーヴィチ「弦楽四重奏曲第8番ハ短調Op.110」、バーバー「弦楽のためのアダージョOp.11」、ブラームス「弦楽四重奏曲第1番ハ短調Op.51-1」、チャイコフスキー「弦楽四重奏曲第1番ニ長調Op.11」、等々、これで全部では無く、他にもたくさん聴いた。
最後はアレクサンドル・ボロディンの「弦楽四重奏曲第2番ニ長調」を選んだ。

アレクサンドル・ボロディンはロシアの作曲家であり、化学者であり医師でもある。またフランス語、英語、イタリア語、ドイツ語に堪能で、最初大学では化学を専攻し、後に医学部に転部し最優秀で卒業し、医学博士を取得しているが、化学者としての功績でも有名だ。
作曲家としてというより医師や化学者として多忙を極める中、数多くの楽曲を創作し、ドイツ旅行中にフランツ・リストと出会い、交響曲第一番がリストの尽力で上演され、名声を博した。
ボロディンの作品は力強い叙事詩的性格と豊かな和声が特色で、情熱的な音楽表現や比類の無い和声法はクロード・ドビュッシーやモーリス・ラヴェルといったフランスの作曲家にも影響を与えている。


朝、ピアノを弾いて始まったが、弦楽四重奏を聴いて過ぎて行く中、ずっと雨に包まれた一日だった。
時折眺めた外は雨がかなり激しく地を叩きつけてもいたし、勢いを緩めることも無くしっかりと間断無く降り続いている。が、しかし、外の世界をまるで遮ってくれているかのように、建物や庭、住まいの敷地ごと、包み込んでくれている。雨はいつでも優しい。
そして、ヴァイオリン、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの音色は雨にとても良く似合う。
ただそれだけで過ぎた一日。ただそれだけで。



wednesday morning白湯が心地良く全身に巡り渡る。

本日も。特に何も無く。