どこまでもひたすら | かや

かや

かやです。

昨日、ネイルサロンで四週に一度のジェルネイルの付け替え、毎回思うが四週過ぎるのはあっという間だ。
カラーは毎回同じ。伸びた爪をギリギリまでカットして頂く。
右手。
アートも毎回同じ、ダイアモンドカットのストーンを三つ重ねて付けて頂く。
左手。

サロン後、移動し、ティーラウンジでティータイムを過ごし、移動し、マシンピラティス&コンディショニング、楽しみたい人からは考えられないくらい短時間、併設の岩盤浴とミストサウナに身を置き、移動し、ヘアサロンでシャンプーブローを終えたところで夕刻になる。移動し、夕食に立ち寄る幾つかの店のひとつで和食でひとときを過ごし、帰宅。


捉え方は人各々だから正解は無い。
昼間、ティーラウンジでティータイムを過ごしていた時に、隣のテーブルの何人かの女性たちがあまりにも声高に会話をしていた。とはいえ、全くそのテーブルを見ていなかったのだが数人がガヤガヤとお喋りしている印象だった。ずいぶん前からお喋りは続き、テーブルを占領し居座って話題は佳境に入りますます止まらないという感じだった。
驚いたことにテーブルにはふたりの女性が差し向かいに座り、数人がガヤガヤとお喋りしているような騒々しさの音源はひとりの女性の度を超した喋り方だったことを知ったのは、次の用事に向かおうと席を立った時、初めて隣のテーブルが視界に入ったからだ。


老若男女を問わず、時折、音量調節に不具合のある人に遭遇するが、えてして、そのような人は押し付けがましく一方的に持論を展開する。
断片が耳に入ってきただけで前後のニュアンスは分からないが、「切り開いていくのが自分の運命」だとか「こうすれば運命が開ける」だとか「思ったことは全て実現出来る」だとか「ツイていることしか起こらない」などなど情報商材か何かの勧誘のような前向きで立派な考えと強運の誇示がガヤガヤとした騒々しさを作り出していた。
口に出してそのような言葉を吐く人にその言葉の通りの人をかつて見たことが無い。言い換えれば、納得させるだけの説得力が皆無なのはちょっとしたことに感情を躓かせて、いつまでも思惟にその躓きをこびりつかせたまま、感情も思考も停滞したままだったりするから、発する立派で前向きな言葉に実感がこもらないし、説得力が無いのだろう。そもそもツイている人や万能の人はツイていることも思いを実現することもそれが当たり前の日常だからいちいち気付きもしていないからわざわざ特別なことのように唱えることも無い。


捉え方は人各々だから正解は無いが、切り開いて行くのが自分の運命というような捉え方には私はどうしても抵抗を感じる。
懐疑的になると言えば良いだろうか。晩年の夏目漱石が「則天去私」と言っているが、その言葉にはある種のニヒリズムを感じずにはいれない。とても雑に言ってしまうが本当に信頼出来る真理や価値などは何も無いという虚無主義的な捉え方にほんの少し近いといえばほんの少し近いが、人間はどこまでもひたすら無力だと思っている。
自分の思い通りになどならないし、大きな流れには逆らえない、そのなかで翻弄され、なすがままなのが人間だ。
なんら抗いもせず抵抗しないことが良しとは思わないが、抗い抵抗しても大筋で変わることは無い。
変わったと思い込むことは出来るだろうが、そう簡単に変わることなど出来ないし変わらない。
捉え方は人各々だから正解は無いが、どこまでもひたすら無力であるということは変え難い。無力にただただ甘んじていて丁度良い。どこまでもひたすら。


thursday morning白湯を飲みつつ空を眺める。

本日も。淡い。