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蘆花といえば、思想家でジャーナリストの兄の蘇峰が経営する出版社・思想結社の民友社に加わり、同社の「国民新聞」「国民之友」などに原稿を寄せ、「不如帰」で一気に文名を得たのは周知だが、言論人の兄の蘇峰は日清戦争が終わった頃からリベラルな思想よりも次第に国家主義的な考えを持つようになり、蘆花はあくまで人道主義を貫きたいという思想から、兄弟の仲は思想上対立し、小説「黒潮」の序文でその思想を貫きたい一文を記して蘇峰への決別の決意を見せ、以降、長らく絶交状態が続き、蘆花が伊香保で療養中に見舞いにきた兄と和解したが、その翌日蘆花は死去する。
兄は徳富蘇峰、蘆花は名字に異字体の徳冨を使って、あくまでもその異字体に拘り続けていた。
兄弟の不和はあまりに有名だが蘆花は蘇峰への一方的ともいえる強烈な葛藤を抱き、五才上の兄への劣等感や長じてから表面化した思想上の対立など、屈折した感情を抱き続け、名字を冨で通した背景には兄蘇峰の富とは区別したい気持ちが有ったことが見てとれる。蘆花は社会主義にも関心を持ち、大逆事件で極刑を宣告された幸徳秋水を助けるために、池辺三山に手形を出すなど、兄とは違った生き方を求めた。
す」という一文があった。六十でこの世を去った蘆花だが兄蘇峰は九十五歳という天寿を全うした。
昨日出掛けに移動の車で眺める書物を何か一冊選ぼうと、ここのところ単行本を選ぶことが多かったがハードカヴァーは重たいからと、文庫の書棚から何気無なく引き出したのが、岩波文庫の1986年復刊版「黒潮」だった。
すっかり蘆花の名前を忘れきっていたが、移動の車で何十年ぶりかに頁を捲り、帰宅してから、逆立ちや庭でのひとときやピアノの部屋で鍵盤に向かったりと一通りの後に、再び文庫本を開いて文字を追った。
何故四十年近く前の私が蘆花を当時購入したのかは全く記憶に残っていないが、当時は岡本綺堂なども好んで読んでいた。その時その時に向かう気持ちのまま、何かを選んだりし、集中するが、あっさり切り替わっていくので、自分のことでありながら、その本意が明瞭でないことが殆んどだ。自分のことすら皆目分からないのだから、他者を理解しようだとか或いは分かったつもりになるだのと不遜なことを思ったりはしないし、齢六十をとうに過ぎて尚、何一つ分かっていることなど無いが分かっていないことに何ら不自由は無い。どうでも良いが何かを分かるだとか、何かを乗り越えるとか克服するだとかいう幻想同様、つもりになるのは簡単だが、実際には皆無とは言わないが、そう簡単なことでは無い、どうでも良いが。
嗚呼、こうして何一つ分からないまま朽ちて行くのだなと思うだに嬉しくなる。