川面の水鳥を思い出した | かや

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重送裴郎中貶吉州

猿啼客散暮江頭
人自傷心水自流
同作逐臣君更遠
青山萬里一孤舟


重(かさ)ねて 裴郎中(はいろうちゅう)の吉州(きっしゅうに)貶(へん)せらるるを送(おく)る

猿(さる)啼(な)き 客(かく)散(さん)ず 暮江(ぼこう)の頭(ほとり)
人(ひと)自(おのづか)ら心(こころ)を傷(いた)ましめ 水(みず)自(おのづか)ら流(なが)る
同(とも)に逐臣(ちくしん)を作(な)って 君(きみ)更(さら)に遠(とほ)し
青山(せいざん) 万里(ばんり) 一孤舟(いっこしゅう)

劉長卿(りゅうちょうけい)の七言絶句。山田勝美氏『中国名詩鑑賞辞典』によれば、劉長卿は709年-785年。中唐の詩人。字は文房(ぶんぼう)、河間(かかん/河北省)の人。開元末の進士。隋州刺史に終わる。「劉隋州集」がある。



意。猿は悲しげに鳴きしきり、旅人の影も散り去ってしまった。黄昏時の川のほとりで、行く君も、留まる我も、ともに名残を惜しんで悄然と心をいたましめるが、川の水は無情で、そんなことに頓着しないで、どんどん流れてやまない。さて、我も君も、ともに放逐左遷の身であるが、君の任地の吉州は、わたしの任地の南巴よりも、もっと遥かに遠い。これから青山万里の長途を、寂しくささ小舟に乗ってゆかれることで、さぞかし心細いことであろう。

この詩のみどころは承句と転句で、承句においては二つの「自」の字を用いて、有情の「人」と無情の「水」とを見事に対照させ、結句の造句の見事な「青山万里一孤舟」と解説にある。
遠く俯瞰した先に流れる川面に小舟に揺られながら万里長途の旅に向かう旅人の孤影悄然たる姿が小さな小さなシルエットで浮かび上がってくる。


幾つかの居住場所のひとつから程近い場所に小さな川が流れている。
大きな川へと合流するその川の両側は美しい並木の道を控え、奥は静かな住宅地だ。
その川に季節によって水鳥がよく浮かんでいる。
大概数羽が列をなして川の流れと共にゆったりと進んでいるが、時折、仲間たちとははぐれたように、或いは、ひとりで進みたいのか、ぽつんと一羽進む鳥を見掛ける。
水鳥は冬、水に浮かんで遊泳する鳥の総称として冬の季題に用いられている。
早春に陽光を浴びて数羽が仲良く浮かび進むのを見掛けたのが新しい記憶だ。
その川で浮かび進む水鳥たちの中、時々見掛ける一羽で進む鳥を見る度に、劉長卿のこの詩の結句「青山万里一孤舟」を思い出す。
果てしなく遠い旅路の途中に水鳥が悄然と浮かんでいる訳でも無いだろうが、一羽で健気に進む小さな鳥はいったいどこから来たのだろう、そしてどこまで浮かび進んで行くのだろう、その行方を見届けたいといつも思う。
見掛けるのはいつでも車中からだから、川面の水鳥を見るのはほんの一瞬だ。
瞳に映ったその一瞬の光景を思い返して、水鳥の来し方行く末にいつでも不思議な思いにかられ、そして、水鳥は何を思って浮かび進んでいるのだろうと思う。
そのようにうっすら思いを馳せることはとても多い。
うっすら思いを馳せる相手は木であり雑草であり、道端の石ころであり、木立を旋回する鳥であり、眼前を浮遊する単なる埃であり、ニンゲン以外の全てだ。あまりニンゲンには興味が無い。ニンゲン以外の全てにも強い熱意は無いが無いなりにうっすらとだが気持ちは向く。

昨日、都心から離れた高原でのホーストレッキングに向かう移動の車で赤江益久氏『中唐詩壇の研究』の第二章劉長卿詩論を眺めていて、川面の水鳥を思い出した。


monday morning白湯を飲みつつ窓越しに空を眺める。

本日も。淡い。