ただ其処に在る苔 | かや

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鹿柴

空山不見人
但聞人語響
返景入深林
復照青苔上

鹿柴(ろくさい)

空山(くうざん) 人(ひと)を見(み)ず
但(た)だ人語(じんご)の響(ひび)きを聞(く)くのみ
返景(へんけい) 深林(しんりん)に入(い)り
復(ま)た照(て)らす 青苔(せいたい)の上(うへ)を

王維の五言絶句。山田勝美氏『中国名詩鑑賞辞典』によれば、699年-759年。字は摩詰(まきつ)、太原(山西省)の人。年少から文学の才がかり、開元9年進士に及第、安禄山の乱後、尚書右丞(しょうしょうじょう)となる。詩・画・書を能くし、画家としては山水が得意で南画の祖と言われる。「摩詰の詩を味へば、詩中に画あり。摩詰の画を観れば、画中に詩あり」は蘇東坡(蘇軾)のあまりに有名な評語がある。彼はまた仏教にも悟していた。「王右丞集」6巻がある。



意。ひっそりと静まりかえった山には人影ひとつ見えない。(が、しかし、人里が近いのであろうか)どこからとも無く人の話し声が聞こえてくる(そのため、かえって静けさが増すようだ)折しも、夕日の照り返しが、深い林の奥まで斜めに射し込んで、青い苔の上に、光のしま模様を落としている(何とも美しいかぎりだ)。

鹿柴は鹿を飼っておくませ(木柵)のことで、王維は晩年に輞川(もうせん/陝西省藍田県)に別荘を営み、彼の詩友裴迪(はいてき)と往来し、二十の景色のすぐれたところを選んで詩を作ったが、この詩はそのうちのひとつ。鹿柴の設けられてある付近の景色を歌ったもの。

静中に動ありで「鳥鳴いて山更に幽(かすか)なり」と同一の手法であり、芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」の発想とも通じるものがあると解説にある。
同時代の李白が詩仙、杜甫が詩聖と呼ばれるのに対し、典雅静謐な詩風から、詩仏と呼ばれ、南朝から続く自然詩を大成させたと言われているいる。何度か引用している詩だが、実に閑寂のきわみで、結句の苔に射し込む夕陽にその静けさの趣が表され、それが作者の心持ちの端正な美しさとなって伝わってくる情景が、蘇東坡の評語「詩を味へば、詩中に画あり」の通り、一幅の絵のように眼前に浮かぶ。このような詩を眺めるといつでもその光景の中に身を置いたような、最初からその光景の中に居たような錯覚に陥る。


普段から人付き合いが良いとは言えない。
自らが積極的に誰かと関わりを持とうとする意欲に欠けていて、かつて、自分から誰かを誘ったりしたことがほぼ無いし、わざわざ繋がりを作る試みをしたことも無く、ただぼんやり過ごしていて、誘われるまま、まあいいかな、という弛い気持ちで、その時その時の流れに任せている。
振り返れば物心付いた頃から、意思というものを自分の都合に向けて強く発動させることが無かった。
ただ眼前に出現してくる何かにただぼんやりと流されていると言えば良いだろうか。唯一給料を貰う側で働いた時も会社ごっこを始めたこともその流れで国内外頻々と往復したことも、ずっと雇う側で会社ごっこをしていることも、猛烈な意思というものは一切稼動していない。おそらく、意に極端に反したことが無かったから、ゆるゆると何と無く身を任せて居られるのだと思う。
最初から意に反したことが無かったのか、意に反するような環境とは関わりが無かったからなのか、意に反するようなことは無い環境ばかりが勝手に集まって来たからなのか、その辺りのことは全く自分では分からない。
言えるのは一念発起してというような覚悟を決める強い決心を持ったことは無く、自らが動くことも無いまま、雨を受けたり風に浚われたり、木立の隙間から陽光を受けたり夕陽が射し込んできたり、其処に張り付いた苔のようにただ其処に在る。
「鹿柴」詩に見る、その静かな自然の中での暮らしぶりの極みはただ其処に在る苔に思えてならないし、子どもの頃から、船体に張り付く藤壺や路傍の石やじめじめした薄暗がりに湿った苔になりたいとずっと思っていて、今もその気持ちが同じまま続いていることを思い出す。
何ら変わらないにも程があるとただニヤニヤするばかりだ。


friday morning白湯が心地良く全身に巡り渡る。

本日も。淡く薄い。