音色が風や陽光に溶け込んでいる | かや

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過臨平蓮蕩

人家星散水中央
十里芹羹菰飯香
想得薫風端午後
荷花世界柳絲郷

臨平(りんぺい)の蓮蕩(れんとう)を過(す)ぐ

人家(じんか) 星散(せいさん)す 水(みづ)の中央(ちゅうおう)
十里(じゅうり)の芹羹(きんこう) 菰飯(こはん) 香(かんば)し
想(おも)ひ得(え)たり 薫風(くんぷう) 端午(たんご)の後(のち)
荷花(かか)の世界(せかい) 柳糸(りゅうし)の郷(きょう)を

楊万里(ようばんり)の七言絶句。山田勝美氏『中国名詩鑑賞辞典』によれば、楊万里は1124年-1206年、南宋の学者・詩人。字は廷秀(ていしゅう)、号は誠斎(せいさい)、吉水(きっすい/江西省)の人。詩文にすぐれ、宋の孝・光・寧宗(ねいそう)の三代に忠節を尽くした。著書は「誠斎集」「誠斎詩話」など。



意。人家は空の星のように水郷の中央に散らばって点在し、十里至るところに芹の羹やまこもの実の飯の香気が満ちていて(水郷の趣はまた格別だ)、今からしのばれますよ、五月の節句の後、初夏のそよ風がかおる頃にもなると、蓮の花が咲き匂い、青柳糸を掛ける、この水郷一帯の風光が。

臨平は臨平湖で、浙江省杭県の東北、臨平山の東南にある。「蓮蕩」は蓮池の土手、蓮を植えて、入り江にしたところ。「蕩」は「塘」に通じる。二首連作の第二首目。
字々清新であり、色と香に満ちた、水郷の景を写し得て余すところが無い。と解説にあるように、字面から闌けた春の情景が鮮やかに広がり、その只中に身を置いているような錯覚に陥るほどだ。

何日か前、まさに晩春の闌けた美しい緑に溢れ返る友人宅を訪れた時、水郷では無く美しい山だったが、ふとこの七言絶句を思い出していた。



あまりにも緑が美しい木立を抜けると、そこに友人男性の家が更に森をひとつ抱いたような敷地に瀟洒としか言い様の無い佇まいで静かに鎮座している。
少し前のこと、招かれて久しぶりに友人宅を訪れた。
海外に生活の拠点を持ち、何十年と経過し、逆にまだ日本に住まいを置き去りにしたままでいることが不思議だが、そのような友人たちが何人も居る。
学生時代からの友人たちや、ビジネスで知り合い、のちに個人として付き合うようになって久しい友人たちがマリブ、パームビーチ、モナコ、コート・ダジュール、ベルグレービア、メイフェア、ビバリーヒルズ、アッパーイーストサイド、ボールスブリッジ、盤浦洞等々、他にも色々に点在しているが、十日ほど前に再会したその友人はシンガポールに生活の基盤がある。
二週間ほどの帰国中、満載のスケジュールをこなす中、この別宅で私と過ごす時間を確保していた。
友人宅は見事な自然に囲まれた中、その自然に調和した外観を持ちつつ、最新の様々な機能に溢れた住まいだ。普段は警備会社と管理人がその留守を守っている。
友人宅では山のひとときを十分に堪能した。
趣味を色々持つ友人だがその中で最も友人の生活に欠かせないのがピアノで、帰国前に調理を依頼したというピアノは幾つもある部屋の中のひとつ、明るく開放的な部屋で、黒い艶を湛えて持ち主を待っていた。
風の造り出す葉擦れの音や様々な野鳥の囀ずりなど自然の音色が溢れる返る中、ピアノを弾くのが何よりも至福だと言う。
それは、大いに同意だ。
自然の織り成す素晴らしい音の数々と共に演奏する贅沢は他に見当たらないと言って過言でない。
その為に用意した部屋にはベヒシュタインD282が広々とした部屋の中央に置かれている。
前日から友人はこの住まいで過ごし、その大半を鍵盤の前で過ごし、暫くの間ピアノから離れていた空隙を埋めるかのように様々な楽器をタブレット端末から選択し、譜面に忠実に弾くことで指が漸く鍵盤に慣れたと言っていた。シンガポールの住まいにはベーゼンドルファーmodel290インペリアルが趣味のピアノ室に置かれているが忙しくしていて気付けば二ヶ月ほど全く鍵盤に触れていなかったらしい。
個人差もあるが一日や二日ピアノに触れていなくとも大して変わらないが一週間二週間と間が空けば、頭の中では譜面の音符や指使いはイメージ出来ても実際に指は微妙に動きを失う。当たり前だが一度覚えたからと言って、間隙に関わらずいつでも指が完璧になど動く訳では無い。

開放し、自然の溢れる中、ピアノの前日から指を慣らしていた友人と連弾をしたり、お互いに好きな曲を弾き合ったりして、時を過ごした。
ここのところ連日、夜のひとときに鍵盤と戯れていて良かったと思った。指が思い通りに動いていっそう楽しい時間を過ごすことが出来た。
そして、何よりも、大自然と共に奏でるピアノの音色が風や陽光に溶け込んでいる素晴らしさを久しぶりの友人と共有出来たことが嬉しかった。



sunday morning白湯が心地良く全身に巡り渡る。

本日も。淡い。