翠雨に揺れる | かや

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その公園の藤棚は何年か前までは花の時期には見事な房をみっしりと重たげに垂らし、黒くて大きな熊蜂たちがその房を恰かも守るかのようにブンブン羽音をたてて旋回していたが、年々房は乏しくなり、昨年は僅かに棚の片隅を飾るだけとなり、それでも熊蜂たちは藤棚を守るかのように低く太い羽音をたてていた。
昨日、その藤棚の下を通った。
地面からやや剥き出した根元が幹を支え、その幹は美しく湾曲しながら棚へと伸びて、枝を藤棚一面に絡め拡げ、満遍なく張り巡らせている。
藤はその剥き出した根元や幹の部分が如何にもくたびれて、歳月を経ていることが窺える。
よくよく思い返せば何時から公園が開園したのかは不明だが何十年もの間ずっと藤棚が有る。とはいえ藤の寿命はとても長いので何十年という歳月のせいというよりは、何らかの原因で花つきが悪くなってしまっているのやも知れない。
最近咲き始めたのだろう淡い藤色の花房が雨に濡れている。
藤の花の咲く頃に降る雨を雨のことばで「藤の雨」と呼ぶ。棚の下から花房を見上げつつ、まさに藤の雨を今、楽しんでいることが嬉しい。


藤棚をくぐり、そして、見渡せば、公園は様々な木々が新緑に溢れ返り、目映いばかりだ。緑雨。新緑を濡らして降る雨を雨のことばで緑雨と呼ぶ。他に「若葉雨」「翠雨」「青雨」などとも呼ぶ。
そして、雨に若緑が濡れて発する柔らかな葉の匂いに溢れ、香雨でもある。香雨も雨のことばだが良い匂いのする雨で、雨の美称として用いることもある。
若緑に溢れた木立を歩き、緑雨を全身に受けてゆっくりと進みつつ、このまま若葉の中に埋没出来たらどんなに心地良いだろうと思う。
なるべくゆっくりと歩めばもしやしたら雨に溶けてしまえるような気がした。
公園の出口とも入口ともなる場所に待機した車に向かって新緑の中を歩く。
車の横にドライヴァーが大きな傘をさし、片方の腕にはタオルを持って立っていた。
「おはようございます」どちらが先かは分からないくらい同時に、そして同じ分量の笑顔で挨拶を交わし、タオルを受け取り、車に乗り込もうとして、「あ」と小さく声を出した。
その声を拾ったドライヴァーが「何か忘れ物ですか」と言った。


今日はブランコから一日を始めようと未明に思っていたことを思い出した。なんと素敵な思い付きだろうと思っていたが数時間にも満たない間にすっかり忘れてしまっていた。
「何か忘れ物ですか」と尋ねたドライヴァーに「少し公園に戻ります」と応え、バッグを車に置いた。
ドライヴァーは「タオルを」と差し出したので、受け取った。何の用が有って戻るかは尋ねず、傘をもたずに歩く私に、せめてタオルをと思ってのことだろう。
公園に再び歩み、遊具のある一角に進む。
滑り台や鉄棒などと共にブランコはある。
1人乗りブランコが3つ並んでいる。左端のブランコの座板の水滴をタオルで拭い、タオルはとなりのブランコの座板に置いて、水を拭ったブランコに腰掛けた。
小さく地面を蹴るようにして緩やかにブランコを漕ぎ始める。辺り一面黄緑色の柔らかな木々が雨に濡れていっそう鮮やかだ。視界全体が美しく真新しい若葉に溢れ、そして、緑の匂いを発散させている。
ブランコは前に後ろに揺れる度に少し軋んだ音をたてる。そのぎこちない音さえ静かな雨に滲み、美しく聴こえる。その韻律に暫くの間身を任せた。
昨日、翠雨に揺れる朝のひとときから一日は始まった。


tuesday morning白湯を飲みつつ、まだ明けない空を眺める。

本日も。朧なまま。