あだしごとはさておきつ | かや

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かやです。



強く潔い北北西の風が吹いている。
幾つかの居住場所のひとつの住まいの庭におりて、揺さぶられる木立を見上げるとその先に明るい空が広がっていた。
まるで何もかもをごっそりと剥がし飛ばすような風は時々唸り声をあげている。
遠く大地を滑るように近付いて来て、砂塵を巻き上げ、梢を潜り、そして、バラバラな方向に風は去っていく。途端にまた新たな風が荒々しくやって来る。
風に吹かれているとはまさにこのこと。心行くまで体感出来るのが嬉しい。目には埃も砂も入り放題だ。
暫く庭で過ごしてから、屋内に戻り、出掛ける支度をする。
今日一日ずっと風が吹いていたら良いなと思いつつ、住まいを出る。
待機した車に乗り込み、ドライヴァーが「今日は風が強いですね」と言う。
「そうですね。願わくはこのまま一日強い風に吹かれて居たいです」と応える。


本筋から離れた話を元に戻すことを、あだしごとはさておきつ。
四字漢語で閑話休題と呼ぶ。
由来は水滸伝に「且(しばら)く間話を把(と)りて休題し、只(ただ)正話を説く」とあり、間に入れた話はやめて、本題に戻ろうということだが、武部良明氏『四字漢語辞典』の解説によれば、日本では、間話を閑話(むだばなし)に改めて用いている。
中国語でも閑話の形を用いると記されている。

水滸伝と言えば古くは宮崎市定氏や井波律子氏が有名だが近年では北方謙三氏が書店の棚を占めているだろう。北方氏の中国史シリーズのこの「水滸伝」の他、「三国志」「楊令伝」「岳飛伝」「楊家将」「チンギス紀」などが有名だが、ここ何年か一気に読んだ。
何十年も前の二十代後半から、北方氏のハードボイルド小説をよく読んだ。
当時北方氏はハードボイルド小説を執筆していたが、以来おそらくその全てと言って過言で無いくらい漏れなく読み耽った記憶があるし、今も書棚には何十冊と並んでいる。書き連ねれば、「逃がれの街」「弔鐘はるかなり」「鎖」「真夏の葬列」「逢うには、遅すぎる」「檻」「友よ、静かに瞑れ」「君に決別の時を」「渇きの街」「過去リメンバー」「あれは幻の旗だったのか」「やがて冬が終われば」「夜より遠い闇」「明日なき街角」「黒いドレスの女」「烈日」「二人だけの勲章」「錆」「ふるえる爪」「秋ホテル」「傷だらけのマセラッティ」「帰路」「いつか時が汝を」「夜を待ちながら」「冬の眠り」「再会」「そして彼が死んだ」…全てを記した訳では無いが書棚に並ぶ何冊かを書き並べても相当な作品数だ。ずいぶんと楽しく読んだものだ。


北方氏のハードボイルド小説時代の中盤からはマセラティが作品にも登場し、感化された私は、会社ごっこの社用車にマセラティを選んだことも有る。とはいえ小説のビトゥルボでは無く、クアトロポルテだったが。
さすがに営業で向かった先の小さな小さなオフィスに横付けする訳にいかないので離れた駐車場に停めて、打ち合わせをしたものだ。社用車はアルファロメオのことも有ったしジャグアーのことも有った。何年か前、マクラーレンの美しさに惹かれたが、さすがに仕事を舐めすぎている感満載でやめた。

仕事を舐めすぎている感満載と言えば、よくよく振り返れば、仕事だけでなく人生そのものを舐めすぎたまま、ずっとそうだったような気がする。
人生で雇われる側で居たのは南青山三丁目の旅行社時代だけで、あとは、全くそのつもりは無かったが、雇う側で何十年も過ごしている。
死ぬ気で頑張るとか闘うとか。今や死語やも知れないが企業戦士とか。いやいや、戦士という言い方は前線で手足を吹き飛ばされながら銃を構える戦士に失礼というものだ。他にも受験戦争、交通戦争。その比喩はあまりにもイージー過ぎる、お願いしますよという感じは否めない。逸れたが、とにかく、猛烈な闘争心のような意気込みなど、皆無のまま、まあまあほどほどに、適当な匙加減をしている。
雇われる側だった頃はアクセル全開でレッドゾーン状態のことも有ったし、朝六時台にはオフィスに行き、夜は十時頃まで仕事を片付けていたりもしたが、まるで苦では無かったし、一度も仕事を嫌いになったことは無かった。オフィスは業界内でも有名ないわゆる今で言うブラックだったようで、一日で辞める人、一週間で辞める人、ひと月持ったが翌日から音信不通になる人など何十人も居たが、まるでストレスなど無く、仕事が楽しくて楽しくて仕方なかった。ついでに二股の恋愛も少ない寝る間も惜しんで楽しんでいた。

あだしごとはさておきつ。
本筋から離れた話を元に戻すことを、あだしごとはさておきつ。四字漢語で閑話休題と呼ぶ。
本筋自体がそもそも無く、次々に離れる話を連ね、色々諸々さておきつ、あだしごと。とでも言えば良いか。
見上げた天窓にはやや欠けつつあるが明るい月が煌々と輝いていた。


wednesday morning白湯が心地良く全身に巡り渡る。

本日も。適当。