梅薫る | かや

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かやです。



幾つかの居住場所のひとつの時折通り抜ける公園には何本もの紅白の梅が有る。
それぞれが微妙に異なる品種なのだろうか大きさも花期もバラバラだ。
ずいぶん前から一本の白梅が満開になって久しい。
風向きによってはかなり遠くでも仄かな匂いが漂って来る。

この公園には毎年春にも開花するが、秋になってから再び開花する季節外れの桜が何本も有り、秋の開花から年末まで三ヶ月以上と長い花期が続き、漸く枝を裸にして新しい年が明けるが、今回は秋に開花した桜たちが未だに咲き続けている。秋に開花した花弁が何ヵ月も開花し続けているのでは無く、咲いては散り咲いては散っているのだが、次々に新しい蕾が開いて、枝を飾るので、いつまでもいつまでも枝を桜が飾っているように見える。秋からじわりじわりと花を開いて枝を飾るこの桜の木々は何時になったら完全に全ての花が咲ききって裸の枝になるのだろう。あと二ヶ月もすれば、桜の開花時期になる。
前年の秋から開花し、はらはらと散りつつも、いまだにはぽつりぽつりと新しく花弁を開き続ける桜のすぐ近くには盛大に開花している白梅が冬の透明な陽光を絡めて輝いている。


春の花と言えば桜の花が代表格だが『万葉集』では萩に次いで百二十首近く歌われているのが梅で、桜は四十首と数は少ない。
梅は中国原産のバラ科の植物で、梅ということば自体、もともとの日本語では無く中国語の「梅(めい)」をそのまま使って、うめ、むめ、などと発音したのがはじまりのようだ。
歌には漢語を避けるのが一般で梅の花の色は紅梅は登場しないとされてはいるが、十世紀末の『古今和歌六帖』には「紅梅」題に紀貫之の「紅に色をばかへて梅の花香ぞことごとに匂はざりける」が紅梅として歌い、また、菅原道真が自身の邸を紅梅殿と称したほどで、藤原時平の讒言で大宰府に左遷された時に邸の梅の花を見て、「東風(こち)吹かばにほひをこせよ梅花主(あるじ)なしとて春を忘るな」(『拾遺集』雑春)と歌ったのは有名だ。
梅の花の咲くその景観も十分過ぎるくらいの佇まいだが、仄かに香るゆかしい匂いがなによりもその魅力だろう。


しかし、かつて桜の花より遥かに好んで梅の花を歌った万葉の歌人達だが、梅の香りを讃えて詠み込んだ歌を殆んど残していないのは不思議だ。
香りを顧みない理由の一説に、萩谷朴氏は万葉時代の日本人は唐の外国文化に心酔して、梅の花の持つ一種の外国趣味に惹き付けられていたことを示すものではないかと記している。確かに、中国語の梅(めい)をそのまま使って、うめ、むめ、などと発音したのがはじまりだろうというのも頷ける。
などと思いつつ、季節外れの桜を眺め、そのすぐ近くの満開の白梅が辺り一帯に優しい匂いを漂わせる中、暫し佇み、その匂いを全身に纏い、歩き出す。
この優しくも馥郁たる匂いを連れて今日は一日過ごしたいなと思う梅薫る朝、公園の出口とも入口ともなる場所に待機した車に乗り込んだ。


tuesday morning白湯を飲みつつまだ明けない空を眺める。

本日も。薄く淡い。