月は居なくなっていた | かや

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昨日、朝食に立ち寄る幾つかの店のひとつで和食のひとときを過ごし、ヘアサロンでシャンプーブロー後、移動し、銀座でちょっとした贈り物の配送を手配し、移動、広尾で私用を済ませ、一段落し、ティータイムを過ごす。すぐ横のテーブルの女性がどこかで見たことのあるような気がした。
あからさまに見る訳では無いが何しろ0・01の視力ではチラッと見てもじっと目を凝らして見てもボヤけていることに変わりは無いが、シンプルなワンピースにVAPのネックレスとブレスレット、バッグはデルヴォーのブリヨンで、髪はサイドを弛く掬い、バレッタで留めている。
誰だったっけと思いながら、紅茶を口に運び、別なことが頭に浮かんで横の女性に一瞬向けた意識はそれきりとなった。
ティータイムを過ごし、建物を出るとすっかり表は暗くなっていた。友人と待ち合わせた店に向かう移動の車で、キラキラ輝く街を眺めるとも無く眺め、その向こう、ビルとビルの隙間に、あと2、3日で満月だろうか、ずいぶんと膨らみ、円くなりつつある月が典雅に浮かんでいた。


南青山3丁目の鮨屋で友人と合流し、友人が予約してくれていたおまかせコースで夜のひとときを過ごす。
店の界隈は20代に働いていた旅行社が有り、また通っていた歯科も表参道の交差点の南青山側に有ったし、毎日通った喫茶店が有ったりで馴染み深いが、微かに原型は残しつつ変貌を遂げている。
最早知る人も居ないだろうし、閉店してしまったが、交差点の246、つまり青山通りに面した南青山側のビルの当時通っていた歯科の隣のビルには階段をのぼった先に大坊という喫茶店が有り、店主のこだわり抜いた珈琲はひときわ味わい深かった。
カウンターに糸井重里さんがひとりで珈琲を飲んでいたり、テーブル席で仲畑貴志さんが寛いでいたり、或いは浅葉克己さんが誰かと打ち合わせしていたりした。因みに仲畑氏や浅葉氏は顧客でも有り、海外ロケの手配をしばしばしていた。急遽決定したハワイロケの前日、パスポートの有効期限もほぼ切れかかりヴィザも無い仲畑氏のパスポートを特別なルートから外務省直接に緊急発行して貰い、アメリカ大使館に出向き門前払いを突破して領事に直接交渉したのも今となっては遠い散り散りの記憶だ。渡航のシステムもヴィザなどもずいぶん昔とは変わった。
この店は当時付き合っていたCM演出家の彼としばしば待ち合わせに使ったりもした。立ち寄った最後は大坊が閉店する少し前、今は亡き父とだったのも今となっては思い出深い。
大坊の有ったビルの並びにはセレクトという喫茶店が有り、毎朝、オフィスの女性とモーニングを食べていた。
セレクトには山本寛斎氏と山口小夜子さんがやはり毎朝のように来ていて、朝の喫茶店は立ち寄る客もだいたい同じで座る席も同じで、隣のテーブルがいつでも寛斎氏と山口小夜子さんだった。
寛斎氏はそれはもう大きな大きな声で喋り続け、小夜子さんはひたすら静かに話を聞いていた。
その当時、オフィス近くの道を歩いていて、時々、小夜子さんとすれ違うことも有った。目が合う。そして、朝のヒト、と互いが思う。ほぼ無表情の山口小夜子さんがそのような表情を一瞬見せる。そのコンマ一秒に現れる人間味がとてつもなく魅力的だった。大袈裟でなく、一瞬、視界全体をグラッと揺るがすような、或いは一瞬、空気を一変させるような魅力が有った。
80年代半ばのことだから、今から40年ほど前のことだ。40年。当時20代半ばの私は40年先に自分が生きている想像など微塵もしていなかった。


南青山3丁目の鮨屋で友人との食事を終えて、再会を約束し、各々が車に乗り込む。
246に出て、渋谷方向に向かう友人の車とは逆に向かう車で、ぼんやりと車窓に流れる街を眺め、友人と合流する前に過ごしたラウンジで見かけた隣のテーブルの女性がどこかで見たことのあるような気がしたことを思い出し、それが妹に似ていたことに気が付いた。
そうか、妹に似ていたから、どこかで見たことがあるような気がしたのだ。
空にはほぼ円くなりつつある月が煌々と輝いている。
どこかで見たことがあるも何も妹に似ていた、なんとなくそれがおかしくて、ふっと笑う。
ドライヴァーが「もうすぐ満月ですね」とバックミラー越しに言った。
「もうすぐ満月ですね」そうバッグミラーのドライヴァーの目に応え、視線を車窓に戻し、空を見ると、ちょうど建物に隠れてしまったようで、月は居なくなっていた。


wednesday morning白湯を飲みつつ、まだ明けない空を眺める。

本日も。うっすら。