とてもとても | かや

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かやです。



昨日、幾つかの居住場所のひとつから、別な住まいに程近い寺に行く。
その別な住まいからは近いがその住まいの動線からは外れているので、近いがわざわざ立ち寄らない限り行くことは無い。
寺は60何段かの石段をのぼった先にある。
千個以上の石で作られた石段の途中には晴れた日でも陽が当たっていても決して乾くことなく湿ったままの石が有る。逸話が有るが史実では無いようだ。その石はほんのり苔を纏い、他の石とは明らかに異なる。
両側に鬱蒼と繁る木々を視界に入れつつ石段をのぼりきると、仁王門があり、潜ると広々とした境内が清々しくひろがる。


その境内にはたくさんの大きな石が此処彼処に配置されている。
青葉の繁茂し、陽射しが強くなり始めていた頃以来だから、その大きな石のひとつひとつに会うのはとても久しぶりだ。
ひとつひとつと言うより、ひとりひとりと呼んだ方が良いか。
勝手に友だと思って接している石たちは、いつでも静寂な佇まいが端正だ。
そっと手のひらを石肌に当てて、心の中で「こんにちは」と声をかける。
時に無意識に声が出ていて「とても会いたかったです」とか「すべすべしていて気持ち良いですね」などと口に出していることもある。
どうあれ、石の友は優しく応えてくれるので、いつまでもいつまでも友と語らってしまう。
和やかなひとときはただひたすらゆったりと過ぎて行く。


寺は小高い山の上だ。
境内の脇からは山を包むように坂道が有る。車ならばその道から境内へ行き、駐車場に停めることになるが、いつも石段脇に待機して貰い、行きも帰りも石段をのぼり降りする。
石段は一段一段が微妙な幅と高さで、よくよく見ればひとつひとつの石には各々表情が有り、それを見ながら一歩一歩石を踏むことになる。
それもとても楽しいひとときなのだ。
待機した車に乗り込んで、近くの住まいには昨日は用が無かったので、留守番の人と簡単なやり取りを電話で交わし、寄らずに、その町をあとにして、移動する。

午後、久しぶりの六本木7丁目のステーキハウスで久しぶりの知人とひとときを過ごし、移動し、紀尾井町で簡単な打ち合わせをし、移動し、銀座で私用を済ませ、気付けば夕暮れはずいぶん前に始まっていて、既に夜のとばりが降りつつあった。
一日はあっという間に過ぎている。
自らがいちいち自覚しながら時をせっせと刻んでいる訳で無く、ただ時間はだらだらと無自覚に垂れ流されていく。などと書いたら、真剣に生きろと叱咤されそうだが、そう言えば、この真剣という漢字は竹刀や木刀に対して本物の刀剣を呼ぶものなのだから随分と不穏だ。
本物の刀剣を扱うが如く物事に本気で取り組むさまを真剣という表現で示しているのだろうが、あの鋭利で不気味な量感を持つ刀剣は想像するだに恐ろしい。とてもとても真剣になどなれない。
などと思いつつ、車窓に流れる夜の町を眺めた。いやはや。


tuesday morning白湯が心地良く全身に巡り渡る。

本日も。適当。