やられてる感アリアリのこのごろ思うこと | かちぃの☆卵巣がん☆ブログ

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卵巣がんになってからのことを書いています。
いろいろな気持ちを書いています。
泣き言やネガティブな本音も多いです。
クライ話が嫌いな方は読まないでね。

顔のむくみは、よくなっていない。むしろ顔全体が巨大化してきてるかも?
首のあたりの圧迫感、動くと苦しいのも変わらない。
左腕は、ちょっと使うと、軽くうっ血するのも変わらない。
血栓の薬は効いてるのか?
顔のむくみは、ステロイドの副作用ってことはないか?
食欲がすごくてコントロールできないのは、ただのやけ食いか、ステロイドのせいか?
お腹がいっぱいの時の、お腹の中が凝ってるような硬い感じがするのはなんなんだ?
太ってくると脚の浮腫が悪化してしまう。ほんとにこわい。
左の肋骨と肩甲骨の痛みが復活してるんだが…、まさかまさか、もう、また胸水?
脱毛のペースがゆっくりで、めんどくさい。
パクリの副作用のうち、だるさ、吐き気、体の痛みはごくごく軽いけど、手の指、足の指と足の裏の痺れはある。痺れは慣れてるけど、今回は手の指と指がすぐにつる。これが、ちょくちょくなので、痛いしめんどくさい。

…などなど、自分の体がコントロールできてない感じが、なんとも気分悪い。
やられてる感がいっぱーい!で、イヤ。

半年前までとは、違ってきてる。
以前は、抗がん剤の副作用なら出どころがわかっているし、咳や呼吸が苦しいという症状も、どのへんのがんが何をやらかしてくれちゃってるのか、自分なりにわかる。
抗がん剤が効かなくて、やつらに対して主導権が取れてなくても、「何がまずくて、そのために何をする、結果はやってみないとわからない」という状況の骨組みは、いつもだいたいはっきりしてた。
だから、今ほどはイライラしなかった。
がんばってるという気持ちに、勢いもあった。

今は、まずいところ、困った症状があっちこちになってきて、何をやったらどうなりそうかっていうのも、なんともわからなくなってきてる。骨組みがない。

実感してるのは、抗がん剤が効かなかったら、どんどん悪くなるだろうということ。
「どんどん」の具体的なペースはわからないけど。

今、呼吸は楽になっているのと、左の鎖骨付近や腋の全体的な腫れに痛みがなくなっていることで(腫れは続いている)、たぶんパクリが効いてくれてるのではないか?と思う。
数ヶ月しかもたないかもしれないけど、そのことはうれしい。

だけど、自分の体は、もういろいろめんどくさいことになってるんだな、という実感もある。

そのめんどくささに、イライラする。なんかムカつく。スッキリしない。無力感。
これからどうなるのか不安。

でも、なんとか、できるだけがんばる。
楽しいこともいろいろあるし、やらなきゃいけないことを、やりたいから。



この病気になって、再発後しばらくくらいまでは、病気に関することで、人のことをうらやましいと思うことはなかった。みんなそれぞれががんばってて、つらさを乗り越えてるから。

だんだん、自分の治療がうまくいかなくなるとともに、人をうらやましいと思うことがときどき出てきて…。

いまでは、人のことがうらやましいという煩悩にまみれております。

以下、そんなひがんだ煩悩まみれの話ですから、いやな方はスルーしてくださいね。


うらやましくなってしまうほうを見なきゃいいのだ、聞かなきゃいいのだ、と思ったりもする。
実際いろいろ余裕がなかったりもするから、他のことに気を取られてる時間が多いけど。
でも、毎日何かの拍子に煩悩が…。

一般的に、その道の経験が長くなったら、成熟し達観していくもの…みたいなイメージがあるけど、違うのね。
あ、そりゃ、人によるね…。
私の場合は、時間も足りないし、修行も足りず、無理だったということだね。

パクリが効いてくれてるなら、すごくうれしいけど、「効くか、効かないか」のことをこれまでの抗がん剤のときほどには気にしていなかった…ということにも気づいた。
「何ヶ月か横ばいにできれば大成功」ということしか、自分が考えてなかったことに、気がついた。

今の私が一番考えていることは、
死ぬまでの時間に何ができるか、何をしたらいいのか、
死ぬまでには自分のからだがどうなっていくのか、
いつまでごはんが作れるのか、
…というようなこと。
1年以内か、1年以上あとかはわからないけど、死ぬのが前提。
死ぬまでにどうするか、のことで、頭がいっぱい。

治療がうまくいってほしい、今度の薬こそ効いてくれと念じながらがんばってた自分は、いつか死ぬことも覚悟してたけど、いまみたいなことは考えてなかったな…。


治療がうまくいくことを信じて、治療やいろいろなことをがんばっている人たちに対して、こんな自分は、なんだか申し訳ないなと思う。
がんばってる人たちの気分をへこませるよね、きっと。
さいごまでポジティブでなくてすみません…みたいな申し訳なさ。

これ↓は、本気で心から願っていることだけど…。
治療がうまくいっている人たち、まだまだ治療法がある人たちは、たとえ「共存。完治はできない」と言われていても、きっとまだまだ元気で過ごせる時間がたくさんある。
きっと何年も時間はあって、きっと新しい薬もできるから、まだまだずっと元気に生きていってほしいなーと思う。
元気な人たち、これから元気になれる人たち、そのためにがんばっている人たちは、ずっとずっと元気でいてほしい。

そう本気で願ってる。

そして、そう願ってると、自分は遠く離れたところにいるような気がする。
…というか、離れていたい…という気がしてる。

元気な人、元気になれる人同士で、がんばってる人同士で、絶対大丈夫!って励ましあって、どうかがんばってください。
もう私はそういうの無理です…。

…というのも本音。
ひがみ。すね。
でも本音。

この先、大丈夫じゃないから。
治療がうまくいくって信じてないから。
ほかに、考えなきゃならないこと、やらなきゃいけないことがあるから。
大丈夫じゃなくて、治療がうまくいかなくなってからのことを、考えて準備しなきゃいけないから。それを考えたいから。準備したいから。
間に合わなくなっちゃうから。

だから、そんな自分は、がんばってる皆さんに対して、申し訳ない。


大好きだった人たちのことをふと思い出して、とてもさびしくてかなしくなることが、この頃よくある…。
「かちぃさん、具合どぉ?」って、かけてくれる言葉が、楽しみを紡ぐような暮らしのことを書いたブログが、あまえのない素直な気持ちを書く言葉が、すごく好きだった。


煩悩やひけめやさびしさが表面に上がってこないように、「もう、引っ込んでよう…」というような気持ちになっていたところへ、
「とにかく大好きだよー」
と、声をかけてくれる友だちが…。

心配してくれてありがとう。
心配かけてごめんね。

そうだな。
大事なのはそれだ。
好きっていう気持ち。
病気であろうがなかろうが、おわりまでの時間が短かろうが長かろうが、元気だろうが具合悪かろうが、いちばん大事なのは、それだ。
みんなと、じゃなくて、ひとりひとりと、じゃないと、私は無理だけど。

気づかせてくれてありがとうね。
煩悩は消えなくても、大事なことは、さいごまで信じるよ。
その先も…きっと終わらないって信じよう。