虚しく意味がないことだとはわかっているけど…。
なんで、何年もずっと再発しない人もいるのに、私はこんななのかなぁと思ってしまう。
なんで…、は虚しいだけだとわかっているけど。
私は、◯◯ワクチンとか、食事療法とか、人参ジュースとか、◯◯療法とか、××療法とか、△△療法とか、がんばっていない。
1年くらい前、温熱療法はやってみようかなと思ったんだけど。
主治医に「卵巣がんは血栓ができやすい病気。大量に汗をかくのは血栓のリスクを高くする。副作用が何もないわけではない。どの施設で、どんな治療をいつするのか、報告してください」と言われてめんどくさくなった。
それと、40分か、30分か、うつ伏せでいるというのを聞いて、当時、胸水がたまっていてうつ伏せの姿勢がいやだったので、やる気がなくなった。
温熱療法をやろうかな、と思ったのは、「このまま、主治医の下での治療だけをしていて、死ぬときに後悔しないだろうか?」と考えた時に、「後悔するかもしれない」と思ったから。
その後悔の内容は、「あれをしていたら、今、死ななかったかもしれない」ということではなくて。
ぼーずが大きくなった頃に、やっぱり◯◯療法にはそれなりの効果があるということがわかったりして、ぼーずに「なんで、おかあは、◯◯療法をやらなかったんだ? なんで主治医のもとでだけ治療をしてたんだ? 少しでも長く生きようという気が無かったのか?」と思われたら嫌だなぁ…という想像含みの後悔をするのではないか?ということ。
でも、今は、そうは思っていない。
お母さんは、努力が報われないということを受け入れ、その中で、虚しさに溺れずにがんばったということを、息子には理解してほしい。
誇りに思えとまでは言わないけど。
がんばる価値があると思ったことは、精一杯やったんだよ。
虚しい現実を、がんばる対象を見つけることで気をそらしたりするのではなくて、ひたすら見つめて、わかって、最善と思うことをした。
お金や時間やエネルギーを、大切だと思うことのために、最適、最良なように使った。
無駄に(と思える)、「効くかもしれない」を追いかけることはしないで、がんばる価値があると思える「効くかもしれない」をがんばった。
がんばらなかったけど、がんばった。
それを理解してほしい。
それは、安易な方を選んだんじゃなくて、お母さんが、生きてきた、考えてきた、経験してきた、そうして培った考え方、生き方が選んだことだったんだということを理解してほしい。
誇れとまでは望まないけど。