こんにちは。

 

 「志国土佐時代の夜明けのものがたりの旅」の2回目です。

 

 概要編は、下記をご覧ください。

 

 ②町歩き スタートです。

 

 ❶「地場産センター 2階 町並み模型展」

 

 JR四国 土讃線「佐川駅」到着後、近くの「地場産センター 2階」で、オリエンテーションの始まりです。

 

 

 

 参考までに、「佐川町、上町周辺」の地図を載せておきます。

  ↑「地場産センター」は、青丸の所です。

 

 ↑ガイドさんの紹介です。

 

 今回、密防止のため、町歩きは3班に分かれて行われました。案内をして頂いたのは、「NPO法人 佐川くろがねの会」の皆様です。HPは こちら です。

 

 一人からでも、まち案内をして頂けますよ(有料)。

 

 ↑ホームページの写真です。

 

 「佐川くろがねの会」の皆様は、以前「志国土佐幕末維新トロッコ号」運行時、車内で、沿線の観光案内をして頂いていました。

 

 今回は、下記の3名様に案内して頂きました。

 (すみません、お名前は分かりません。)

 

 

 佐川町 町名の由来

  高知県は四国山脈の南に位置するため、北から南に流れる川が多いが、佐川は南から北に向かっており、逆さまに流れている川「逆川(さかがわ)」が転じて「佐川(さかわ)」になったといわれています。

 

 土佐藩の初代藩主・山内一豊の筆頭家老、深尾重良の領地だったのが佐川です。深尾氏は佐川城の周辺に侍町や町人町をつくりました。「地場産センター」では、佐川町の建造物を20分の1大で再現した模型が展示されており、当時の生活をうかがい知ることができます。

 

 ↑センター2階、入り口には「街並み模型展」の看板が。

 

 

 

 ↑全ての模型の、屋根等が外せ、障子や襖等も、全て実物通り動かせます。

 

 

 製作者は、佐川町出身の模型作家、「栗田眞二氏」です。その精巧さは、まさに驚きの一言ですね。

 

 この後、各班に分かれて町歩きです。私は3班で、女性のガイドさんでした。

 また、この後は、同じ所を何度も通るので、時間経過順ではなく、名所毎の紹介とさせて頂きます。

 

 ❷青山文庫(せいざんぶんこ)

 

 ここには、江戸時代の佐川の様子を知る貴重な手掛かりとなる、領主・深尾家に関する資料などが多数展示されています(館内は撮影禁止ですので、写真はありません)。

 

 

 

 今、企画展として「田中光顕(みつあき)展」が開催されていました。

 館内で、「田中光顕」氏のお話をして頂きました。

 「青山文庫」の”青山”は、田中光顕の雅号から付けられたものです。

 田中光顕は、土佐勤王党に加盟し、陸援隊で中岡慎太郎を補佐。維新後は宮内大臣を長期間務めるなど要職に就きながら、幕末維新の生き証人とて、志士の顕彰などに務めました。

 

 ↑「青山文庫」へは「石畳み」を上っていきました。

 

 また、近くには、「旧青山文庫」もあります。

 ↑もとは、「須崎警察署」の「佐川分署」として、山側にあった建物です。

 

 ❸旧浜口家住宅(さかわ観光協会)

 

 

  江戸中期より佐川で酒造業を営んだ浜口家の住宅です。2013年に改築され、観光客を迎える施設として整備されました。さかわ観光協会がお土産販売やカフェとして運営しています。

 

 私も、昼食後デザートを頂きました。

 ↑カスタードプリン(190円)です。

 

 ❹酒蔵の道

 

 東西に延びる「酒蔵の道」には、江戸時代に建てられてものから、最近のものまで、それぞれの時代を見つめてきた蔵がたくさん並んでいます。

 

 

 

 ↑旧竹村呉服店(キリン館)です。

 

 ↑今は、雑貨屋さんです。

 

 ↑司牡丹酒造です。

 ここの、「仕込み水」で入れたコーヒーが、「夜明けのものがたり 開花の抄」の予約料理に付いています。

 

 ↑「杉玉」です。

 杉玉は毎年新しいものに付け替えられますが、作られたばかりの頃は杉の葉本来の緑色をしています。そのことから、酒蔵の軒先に緑の杉玉が吊り下がると、「新酒ができた」という目印になったというわけです。
 そして杉の葉が枯れていくにつれて、杉玉の色は緑から茶色へと変化していきます。その変化は、新酒の変化、時間の経過による熟成具合と重なり、茶色くなるほどお酒も熟成が進んだことを現しています。

 

 

 ❺酒ギャラリーほてい

 ↑「司牡丹」のお酒のショールームです。

 

 「ほてい」という名は、かつて竹久夢二が営んでいた料亭の名をそのまま引き継いています。

 

 

 ↑「試飲」も出来ます。私は興味ありませんが……。

 

 ❻名教館(昼食)

 

 1772年、深尾茂澄が家塾として創設。のちに郷校となり、多くの維新の志士や偉人を輩出しました。

 

 

 

 ここで、昼食を頂きました。

 

 ↑お弁当です。でも、これだけ食べると、列車の食事が……。

 

 ↑昼食中、ここでガイドさんとはお別れです。

 

 ありがとうございました。食事後、時間まで各自、自由散策になりました。

 

 添乗員さんに記念写真を撮って貰いました。

 

 

 

 ↑国指定重要文化財の「竹村家住宅」です。本日は入れませんでした。

 

 思い思いに、まち歩きを楽しみ、バス乗り場に向かいました。

 

 ↑密防止のため、大型バスに変更になりました。

 

 ③道の駅「かわうその里すさき」に向かいます。

 

 ↑十分に間隔をあけて座っています。

 

 道中は、狭い道をグイグイと須崎方面に向かいました。所々は、すれ違えず、お互いバックして進みました。途中、「夜明けのものがたり」で見られる「白石工業」の裏手の山道を通て、「道の駅」」に到着です。

 

 

 

 ここは、「新荘川」のすぐ横にあります。

 

 ここから、土讃線の線路が見えます。

 

「JR四国」の列車走行位置情報を見ると、数分後列車が通過するみたいです。

 

 ↑1000型気動車の通過です。

 

 道の駅に戻ろうとしたら、添乗員さんが「夜明けのものがたり」が通過しますよと、教えて頂きました。待つこと数分、

 ↑「立志の抄」の通過です。

 

 また、道を挟んでのローソンには、

 ↑「しんじょう君」が店長をしていました。

 

 ↑店内ですが、私は写真を撮っていたので、通過です。スミマセンショボーン

 

 ④水車亭に向かいます。

 

 バスは、「窪川駅」方面に向けて、南下して行きます。

 

 最後に寄るのは、「芋けんぴ」専門店です。「水車亭」と書いて、「みずぐるまや」と読みます。

 ここから「窪川駅」までは、数分の場所にあるので、ギリギリまでお買い物です。

 

 

 

 名前の通り、「水車」が」廻っています。

 

 

 店頭には、

 ↑お徳用「芋けんぴ、せんべい」が、大量に……。

 

 ↑試食も出来ます。揚げたてです。

 

 

 そして、買い物も終わり、「窪川駅」に到着です。

 

 

 中々、趣のある町歩きの旅でした。

 

 この後は「夜明けのものがたり 開花の抄」に乗車です。

 

 この話は、次回です。

 

 ありがとうございました。