でも頑張ろうね。
「私もだいすき♡ ちゅ」
目の前で繰り広げられるこの光景があまりにも面白かったので、私はわざとしゃがみ込んでじーっと見つめていた。
そっと「真っ赤なハート」のアイテムをおふたりにおすそわけし、盗撮して去っていく私であった。
このふたりは一体、何才なのだろう?
少なくとも成人はしていなそうだ。
★1:1トークの利点と欠点
ゼペットをやっていると大勢のプレイヤーが簡易プロフィールに「1:1NG」などと書いている。
私はつい最近まで「出会い厨」という言葉すら知らなかった。
私は嫉妬で辛くなる。だから本当は1:1トークの方がやりやすい。
最初のうちは1:1トークは大歓迎だった。嫉妬をせずに話せるから、とても楽だったのだ。
だからなぜそこまで殆どのプレイヤーが1:1トークを嫌がるのかが、分からなかったのだ。
ところが、グローバルに行って分かった。なぜそこまで1:1トークを皆が嫌がるのか。
気分が悪い
今までの私の体験でも、1:1トークを仕掛けてくるのは相手を「釣る」ためだ。
1:1トークの殆どがゼペカレ・ゼペカノのお誘いや、相互フォローの契約交渉など。
正直、本当に鬱陶しい。
長くゼペットをやっている人はそれを知っていたのであろう。私も1:1NGにしないと話にならない状態だった。
グローバルにいる人はほとんど簡易プロフィールも見ていない。
堂々と、わざわざサイズを大きくして「NO 1:1」と書いてもガンガンに仕掛けてくる。
気がついたら私は反射的に「拒否」ボタンを押していて、それでもまた仕掛けてくる。そしてまた「拒否」を押す。
簡易プロフに「NO 1:1」と書いているから、拒否する権利くらいあるはずだ。
そして相手に「sad」と言われて去られるのだった。
こちらがsadだ。
バーチャルで見栄を張り恋人を作る。それをある種のステータスとしてオンラインで生きていく。
それは私も登録した初日にやったことだったし、気持ちもよく分かる。
ただ、それは後々「黒歴史」と呼びたくなる出来事だった。
ぶっちゃけてしまうと、元々私は現実の世界で出会い厨なのだ。
そんなリアル出会い厨の私から見たら、お人形ロマンスごっこが逆に怖くなる。
相手はどんな顔かも分からない。どんな声かも、どんな服を着ているのかも。
そんな仮想の彼、彼女に振り回されて振られて、ゼペットを辞めてしまったり、1からやり直したりする人もいる。
(ただしゼペットはアカウントを消すのが難しいらしく、辞めるのが大変。というか事実上ほぼアカウントの削除はできない。たぶん。)
そして不思議なのは、ゼペット内で出会い厨を嫌がる人にゼペカレ・ゼペカノがいること。
それはつまり、1:1トークではなく通常の吹き出しトークの流れで仲良くなり、愛し合うようになったのだろう。
きっと1:1波も1:1NG波も、両者にも出逢いたい気持ちはある。
けれど、あからさまに見栄やナンパで誘ってくるか、フレンドから愛を育んでいくか、そんな違いだろう。
アバター同士で育む愛とか、愛し合うとか、それもバーチャルの世界の話。
けれど、それもこれからの時代の新しい愛の形なのかもしれない。
楽しければそれでいい。
私にとってこの1:1トークと恋愛というテーマはとても興味深い。
私はクラブが好きだ。
元カレに渋谷のアトムというクラブに連れて行ってもらったことがある。
タバコが苦手な私は長居ができなかったが、彼がショットを買っているうちに男が声をかけてくる。
タバコの匂いで気分が悪くなってロッカーの前で休んでいたら、また違う男に声をかけられる。
それで彼と男が喧嘩になったりした。
その後、彼と私で喧嘩をした。
ゼペットをやっていると、ふとそれを思い出す。
あんなに可愛いゲームが?と思うかもしれないが、中身は結構ドロドロだ。
年齢制限も荷物制限もないクラブのような不思議な感覚に襲われる。
(アトムには厳しい荷物チェックと身分証の提示が必要だ。)
私にも好きな人は出来てしまった。
なんてことだ。
もう会えないのかと思うと胸が苦しい。
★集団心理の恐ろしさ
私は皆が赤信号を渡っていたら、自分も赤信号を渡ることになんの抵抗も感じない。
むしろ一緒に渡った方がいいとさえ思う。
「アバターならなんでもいいだろう、何を言ってもいいだろう、何をしてもいいだろう、
傷付けてもいいだろう、振ってもいいだろう、どうせいつでも辞められる、本当の私ではないのだから」
そんな心理が私にも働いた。
アバターによって自分の性格が変わる事も気づいた。
私は8体のアバターがいたが、それぞれに性格や設定があり、それぞれにある種のペルソナ(仮面)があった。
そのペルソナによって私は色んな私になれて、それがとても楽しかったのだ。
私は、大人プレイヤーほど集団心理とペルソナが強いように感じた。
大人のグループほど怖いものはない。大人だからこそ、みっともない。
大人全員がそういうわけではないけれど、そんな恥ずかしい大人が多いのは事実だ。
理屈で考えてもそうなる。
大人は抱えるストレスが多かったりする。仕事、家族、生活、健康、お金。
現実逃避としてゼペットを利用するのは彼等には最高だ。
だからこそ、リバウンドのように子供になってしまうのではないかと私は思う。
挨拶をしても挨拶を返さない、話しかけても無視をする、ハブる、汚い言葉遣い、品のないふざけたアバター。
数え上げたらキリが無い。
ゼペットの世界は何でも許される。どんなにふざけても許される。どんなに荒らしても、通報されない限り。
(許される、というのは、現実では決して許されない行動が何の罰則もなく出来てしまうという意味。)
だからこそ現実を生きれる、子供に笑ってあげられる。旦那や奥さんに優しくできる。
それがゼペットの魅力と言えるのかもしれない。
実際、ゼペット内でそんな大人に出会すと相当気分が悪い。正直ぶっ殺したくなる。
しかし俯瞰して考えれば、彼らは彼らなりに精神のバランスをうまく取っているのかもしれない。
私よりも随分と器用だ。