中二病(ちゅうにびょう)とは、「(日本の教育制度における)中学2年生頃の思春期に見られる、背伸びしがちな言動」を自虐する語。転じて、思春期にありがちな自己愛に満ちた空想や嗜好などを揶揄したネットスラング。「病」という表現を含むが、実際に治療の必要とされる医学的な意味での病気、または精神疾患とは無関係である。
洋楽を聴き始める。
旨くもないコーヒーを飲み始める。
売れたバンドを「売れる前から知っている」とムキになる。
やればできると思っている。
母親に対して激昂して「プライバシーを尊重してくれ」などと言い出す。
社会の勉強をある程度して、歴史に詳しくなると「アメリカって汚いよな」と急に言い出す。
荻上チキは、中二病の「症例」の多くが学校空間内で確認されていることを指摘している。そして、しばしば中二病として嘲笑の対象となるのは本人が自己設定した(外部から見れば片腹痛いような)奇異なキャラクターを周囲に押し付けるような振る舞いであり、これは学校空間が「キャラをめぐる病」を引き起こしやすい環境であることを示唆していると述べている
千野帽子は小説『ドン・キホーテ』を「主人公は色メガネを通して世界を認識している。人々は彼を言いくるめるためその妄想を否定せずに付き合ってやるが、そうしてますます彼は自分の妄想にのめり込む」という悪循環から、「50歳からの中二病」という副題を付けたいとしている
アニメーター河野紀子によると「承認欲求」と「自己同一性」という2つの心理から生まれるとされる
タイプ
ライトノベル作家、塞神雹夜(さえがみ ひょうや)の『中二病取扱説明書』によると、中二病には主に以下の3つのタイプがあるとされる。
DQN系
反社会的な行動や不良を演じ、格好いいと思い込んでいる。根は真面目であったり、臆病であったりするので本当の不良にはなりきれない。喧嘩や犯罪行為に対する虚言が多い。「DQN」とは「反社会的な人」や「迷惑な不良系」を表すネットスラング。
サブカル系
流行に流されずマイナー路線を好み他人とは違う特別な存在であろうとする。別にサブカルが好きなわけではなく他人と違う趣味の自分は格好いいと思い満足している。
邪気眼系
不思議・超自然的な力に憧れ、自分には物の怪に憑かれたことによる発現すると抑えられない隠された力があると思い込み、そのような「凄い力」がある自分を妄想し、悦に入る。また、そういった設定のキャラクター作りをしている。
こういうこと言っちゃう人のことです↓
僕も同じだ 僕にもあいつらと同じ醜い中身が詰まってる これが人間だ!人間なんだよ!!セバスチャン!!《シエル・ファントムハイヴ》
必死な願いを嘲笑い 虫けらのように踏み躙る 姑息で 残酷で 醜悪で 悪魔よりよっぽど悪魔らしいじゃないか《シエル・ファントムハイヴ》
弱い者苛めが・・・何ですって?《セバスチャン・ミカエリス》
嗚呼 躊躇う事なく光に背を向け 気高い歩調で奈落へ突き進むその姿の 何と美しく 愚かしい事か《セバスチャン・ミカエリス》
何処にいても、いつの時代も同じ様なものです 人間なんてものはね《セバスチャン・ミカエリス》
参考画像



6年前好きだった名言
まだまだだね《越前リョーマ》
最後まで・・・希望をすてちゃいかん あきらめたらそこで試合終了だよ 安西監督
今好きな名言
無駄な努力って言うのは若さの特権だね《アンダーテイカー/葬儀屋》
人生に幸せなんて求めること自体勘違いなんだよ。
世間じゃよくどうせ死ぬんだから楽しく生きようなんて言うけどオイラは逆でどうせ死んで身軽になるんだから、生きてるうちにひどい目に会おう、辛く生きようと思ってる。
幸せになろうなんて、思ってないね。
出典北野武
人は生まれて、生きて、死ぬ、これだけでたいしたもんだ。
出典北野武
昔から「運も実力のうち」なんて言葉があるとおり、おいらも所詮人間の成功なんて運があるかどうかに尽きると思ってる。
出典北野武
夢をもて目的をもて、やれば出来る。こんな言葉に騙されるな。
出典北野武
スポーツ新聞に「たけし、再起不能か?」なんて書かれた、あの原付バイクの事故からもう12年の歳月が過ぎている。あの事故を境にして、生きていることに、あまり興味がなくなった。あの事故でわかったことは、運命なんてものは、自分でどうにか動かせるものじゃないということ。どんな運命が待っていようと、それをそのまま受け入れるしかない。
[北野武の名言|運命なんてものは自分でどうにか動かせるものじゃない]
でも私は最近まで相当中二病でした
いい年して2次元のキャラクターに嫉妬したり
来週精神科に行こう