最近、夫が日曜日の夜になると決まって同じことを言う。


「ああ、明日は電車がストップするだろうな」。


月曜日、とくに天気が悪い日は、電車に飛び込む人が必ずいる、ってことを夫は言っているのだ。




日本の自殺者は年間3万人を超えているそうだけど、いつのころから、こんなに自分で自分の人生を終わらせてしまう人が増えたのだろうか。



私もわけあって、若いころは何度も「死にたい」と思った。


実際には死ぬ勇気なんてなかったから、今こうやって生きているわけだけど、勇気がなかったことのほかに、もうひとつ「死ななかった」理由がある。




「死にたい」と思うとき、おそらく人は、「今のこの苦しみから逃れたい」と思うのだろう。


死んでしまえば、楽しいこともないかわりに、苦しいこともなくなる。

だから無の世界に行ってしまいたいと。


私もそう思った。


でも、ふと、「もしあっちの世界が、今よりつらかったらどうしよう」と思ってしまったのだ。


いま、夫にそれを言うと、「死んだあとの世界なんてないよ」と言うけれど、実際に死んでからこの世に戻り、「あっちの世界はこうだったよ」と証言してくれる生き証人はいないわけだから、誰にもわからない。


本当に何も感じないでいられるかもしれないけれど、魂だけさまよう世界があって、そこでまたいろんな魂が世界を作っていたとしたら…。


またそこで苦しみが生まれるかもしれない。




な~んてことを考えたら、死ねなくなった。


死んでしまってから、「やっぱりあの世に来るんじゃなかった」「まだこの世のほうがマシだった」と後悔しても遅いから。

もっと辛くなるかもしれない可能性がゼロではないのなら、とりあえず今の世界にいよう。


そう思い、ここまで生きてきた。




小心者ゆえ、その先の先まで想像力を膨らませすぎて、手も足も出なくなるのだけど、


こと「自殺」に関しては、この性格が幸いしたみたいだ。




でもきっと、本当に自殺してしまう人は、もっと衝動的なのかなぁ。


もしもあれこれ考えているのなら、「あっちの世界は、今の世界よりももっとつらいかもよ~」と言ってあげたい。


だって本当に、誰も、あっちの世界のことは知らないんだから。


生活保護受給者が激増している。


ちょっと前なら、「生活保護を受ける」ことに多くの人が抵抗を持っていた。


でも今は、そうでもないらしい。


単純に、以前より厳しい生活を強いられている人が増えているだけではないと思う。


就職難とか、失業率UPとか、時世がそうさせていることもあると思うけれど、


日本人のプライド?や自立心が大きく変わってきたような気がする。




私自身は、本当に必要なら生活保護を受ける権利は誰にでもあるのだから


受けて当然だと思うし、生活保護を受けているからといって、蔑視される必要もないと思う。




だからある意味、権利を要求する人が増えたことは


喜ばしいことなのかもしれないけれど、


なんか今の流れは、これとはちょっと違うような気がしてならない。




働きたい、でも働けない。そんな人は大勢いる。


こんな状況を作ったのは国のせいだ、だから生活保護を受けて何が悪い、


というのもわかる気がする。


でも、一度、生活保護を受けてしまうと、「楽して得取る」ことを体感してしまうから、


そこから抜け出すことは難しい。


というか、その資格を手放したくなくなるはずだ。


そんな思いを静止してくれるのは、己の「プライド」しかない。


昔の人は「人様の世話になりたくない」「人様に迷惑をかけずに生きたい」と


たびたび口にするけれど、こうしたプライドが、


自立して生きることを選ばせていたのではないだろうか。




このままいくと(もうすでにいってますかね)


本当に必要な人が生活保護を受けられなくなる時代がやってくる。


抵抗感を必死に振り払い、せっぱつまって役所に訪れたときには「受理できません」


なんて言われた日には……。




ああ、やっぱりこの国の未来はまっ暗だ。







今日は憲法記念日。

新聞で特集が組まれていて気がついた^^;


何十年も机のなかにしまってあった憲法手帳を見た。

う~ん、憲法って、ぜんぜん守られていないんだな~と改めて感じた。

「すべての人が健康で文化的な最低限度の生活」もおくれていないし、

「働く機会」も得られていない。

65年も前に作られたこの憲法さえ守ることができないのに、

時代に合った憲法に改正するってな論議が常に起きている。

本気なのか?と思っちゃうんだよな~。


新聞の投書欄に、9条の改正を願う人がこう書いていた。

「周囲の国が攻めてきたとき、『我々は戦争を放棄しています』と言えば、

引き下がってくれるのだろうか。中略

国民と生命と安全を守るためには、それなりの防衛力が必要ではないか」。


では、この人に問いたい。

防衛力を持ってしたら、国は国民の生命と安全を守ってくれるのだろうか。


防衛力というのは、すなわち武力である。

武力に武力で対抗したら、それは戦争でしょ。


もちろん、武力を持たないことで国民の安全を守れる保障はどこにもない。

でも、まだそのほうが救いはあるような気がしてならない。

例えば、ケンカをふっかけられたとき。

真っ向勝負する人より、

「いっち抜けた~」と言って放棄する人のほうが、まだ安全だと思うんだけど。

それとは違う?いや、たいして違わないでしょ。


それに、すべての人が最低限度な生活が送れず、働く場所もないこの世の中で、

果たして国は、防衛力を持ったからといって、国民を守ってくれるだろうか。

私は戦争を知らない世代だけれど、

あの戦争は、武力が国民を守ってくれないことを教えてくれたのではなかったのだろうか。

それを学ばずして、なぜ、もう一度、防衛力とうい名の武力を持とうとしているのか、

どうしてもわからない……。


ま、私は子供もいないし、そう長生きするとも思えないから、

どうでもいいんだけど…って友人に言ったら、怒られた~。

無責任ですみません。